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【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(下)復興の前提固まった via 福島民友新聞

「自分にとってもそうだったが、何よりも大熊、双葉の苦渋の決断だった」。前知事の佐藤雄平は、除染で生じた廃棄物を集約する中間貯蔵施設の建設受け入れに至る背景を語り出した。

 2011(平成23)年8月27日、首相だった菅直人が県庁を訪れ、佐藤に中間貯蔵施設の県内への設置を要請した。「突然の話。非常に困惑している」。佐藤は憤りを隠さなかった。

 11年3月の東京電力福島第1原発事故で放射性物質が県内に拡散、市町村は表土をはいだり、樹木を伐採したりする除染を始めており、空き地などに「仮置き場」を設けて除染で生じた汚染土壌などを保管している状況だった。

 要請に不快感を示した佐藤だったが、「県内各地で仮置きを続ければ観光や農業などに影響が出るだろう。どこかにまとめなければ」とも考えていた。政府は11年10月、中間貯蔵施設の設置期限を30年以内とし、汚染土壌などは県外で最終処分するという基本的な考え方を示し、議論が進み出した。

 「迷惑施設」の必要性

 政府はその後、原発事故で大きな被害を受けた双葉郡、中でも大熊、双葉、楢葉の3町への分散設置を要請した。市町村が集 まる会合では「早く双葉郡に引き受けてほしい」という声も首長から上がった。佐藤は「双葉郡の首長はつらいはずだ」と思いながらも、「迷惑施設」の必要性を実感していった。

 佐藤は12年11月、施設の調査受け入れを決断する。表明に際して、双葉郡8町村の首長に集まってもらったが、反対の姿勢を明確にしていた当時の双葉町長の井戸川克隆は欠席した。佐藤は「福島県の将来を考えると、施設の設置について考えてもらわなければいけない状況だ」と理解を求めた。

(略)

 ―12年3月に政府は大熊と双葉、楢葉の3町に分散設置することを表明するが、事前説明はあったか。
 「これはあった。その段階で、原発からたくさん出る放射性廃棄物の保管について、当時の楢葉町の草野孝町長から『わが方で引き受けたい』という話があった」

 ―中間貯蔵とは別の話か。
 「中間貯蔵ではなく、放射性廃棄物の保管庫。工場か何かを造る予定だった土地があり、埋めるのにちょうどよいと。放射性廃棄物も出てくるだろうから、これを対応してもらえればありがたいと思っていた」

 「その頃の話だが、町村会か何かの会合が開かれた。そこで何人かが『仮置きしているものを双葉郡の方でお願いできないか』なんていう話が出たね。双葉郡の首長は本当につらいだろうと思って聞いていた」

(略)

―政府が施設の集約を了承したことで、用地問題などで具体的な話が進んでいったが、その頃はどのような状況だったのか。
 「政府は、一般の公共事業のような感覚でいたんだ。とにかく買収すると。だが、それはとんでもない話だ。先祖伝来の土地を手放すのは大変なことだ。それで『地域には100年、150年続いてきた歴史や文化がある。それを手放すんだ。しかも放射能の土壌廃棄物を入れるんだからな。その気持ちが分かるのか』と言った」

 「土地が(全て)買収されると、30年(後に県外搬出する約束)の担保がほごにされる可能性もあった。大熊、双葉の両町や地権者が求めていた土地の賃借を県も推していた。政府も(土地を)賃借(すること)には納得してくれた」

 「(地域振興の)交付金などの話もしていたのだが、その頃に石原氏の『最後は金目でしょ』の発言が出た。余計なことだった」

(略)

大熊、双葉両町本当に頭が下がる思いだった

 ―苦渋の決断だったか。
 「俺自身も苦渋の決断だったけど、大熊、双葉の両町の決断が大前提だからね。本当に県民のことを思って、苦渋の決断をしてくれたなって。頭が下がる思いだった」

 ―その後に自らの進退を発表するが、当時の思いはどうだったか。
 「知事として原発事故後の県の将来を考えた時に、中間貯蔵施設(の場所)さえ決まれば、あとは福島復興再生特別措置法があるから、復興はおのずと進んでいくなと思った。復興の大前提だった。それをやれたのが自分にとって(政治人生の)節目だった」

 ―建設受け入れを決めた知事として、中間貯蔵施設の今後について政府に言いたいことは何か。
 「30年後の県外への搬出は法律に書き込まれたわけだから、守ることは当然だ。今も原発事故で避難している県民がいることを忘れてはならない。なぜ原発は何基も福島に集中していたのか。エネルギーも食料も地産地消という国造りを進めるのが、今後の日本の課題ではないかな」

 ―震災から間もなく10年となるが、今の県をどう見ているか。
 「震災前と震災後で子どもたちの弁論大会の内容を比べると、『人の役に立ちたい』というような主張が多くなった。今の本県の若年層には、他県に負けない辛抱強さとか忍耐強さが備わっていて、運動や文化などさまざまな場面で活躍してくれていると思う」

全文は【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(下)復興の前提固まった

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