福島原発事故から8年 母子避難家族の闘いの記録 via 日刊スポーツ

「言わなければ、なかったことにされてしまう」-。東日本大震災からまもなく8年。東京電力福島第1原発事故によって大阪市内に母子避難している森松明希子(あきこ)さん(45)。

鋭い視点で斬り込むMBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’19」。今回は「フクシマの母~母子避難8年・闘いの記録」と題したドキュメンタリーを24日深夜0時50分(関西ローカル)から放送する。幼い子どもへの放射能の影響を考えて「自主避難」した家族を通し、原発事故を問いかける。

森松さんは11年3月11日、勤務医の夫、暁史さん(51)、当時3歳だった長男明暁(めいよう)くん(11)、当時生後5カ月の長女・明愛(めいあ)ちゃん(8)の家族4人で暮らしていた福島県郡山市で東日本大震災に遭遇した。自宅は福島第1原発から約60キロの距離だった。

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事故後、郡山市には国から避難の指示は出なかった。約1カ月の避難所生活。事故後に放射能汚染の広がりが知らされず、汚染した水を飲んで母乳を与えてしまった。「普通に子育てができる暮らしを取り戻したい」と自主避難を決意。11年5月、福島県郡山市から子どもを連れて大阪市内に避難した。

福島と大阪の二重生活で光熱費は倍になった。暁史さんが家族に会いに大阪にやってくるのは月に1度だった。

「大阪の生活はたいへんだけど、目の前の子どもたちの健康を守るために避難している。夫は避難生活を続けさせるために働いて、守るべき子どもは目の前にいない。どうやって精神状態を保っているのかなと思ってしまう」。森松さんは夫を気づかう。

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森松さんは、原発事故の避難者らが国と東電に損害賠償を求める大阪地裁での訴訟の原告団代表でもある。「避難したい」と訴えていたのに、あてがなく、残るママ友もいる。原発事故による被ばくを受けない権利は避難している人にも避難していない人にも等しくあるのではないか? そのことを広く世間に知ってもらいたい。そんな思いで、国と東京電力の責任を問う裁判の原告になった。

避難者が国と東京電力の責任を問う裁判は、17年の提訴以来、2年間、弁論を重ねてきた。森松さんの2人の子どもも原告席に座った。

被告の国と東京電力はいっさい答弁せず、すべて書面で行った。

東京電力は書面で「被告、東京電力は事故発生時における最新の科学的な知見をもってしても、原発の所在地において、地震に伴う大津波が発生することは予見できなかった。かかる巨大地震、巨大津波によって発生した事故につき、被告東京電力に故意または過失はない」。

国は「被告、国おいて規制権限を行使する職務上の法的義務はなく、原告らの主張は理由がない」。

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番組は13年から森松さん家族を断続的に取材。14年3月16日放送「“自主避難”~原発事故3年・家族の苦悩」、16年3月27日放送「“自主避難”~原発事故から5年・真実と風化」に続く同じ家族を追った第3弾となる。

津村健夫ディレクターは番組の制作意図について「『忘れないで』ということです。東日本大震災について通年で報道する機会が減っている」と強調する。

裁判が決着するまでは長い歳月がかかりそうだ。一方で放射能が半分に減る半減期はヨウ素131なら8日だが、プルトニウム239だと2万4000年。なかには100万年以上という放射性物質もある。

全文は福島原発事故から8年 母子避難家族の闘いの記録

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