「広島原爆焼」永井博士の元に 如己堂などに3個現存 長崎県出身の新聞記者寄贈 [長崎県] via 西日本新聞

広島原爆の爆心地付近の土を混ぜて作ったとされる陶器「広島原爆焼」が、長崎原爆で救護活動に奔走した医師、永井隆博士(1908~51)に贈られていたことが分かった。原爆焼の寄贈に対する永井博士の礼状が昨秋、広島市で見つかり、博士の孫で長崎市永井隆記念館長の永井徳三郎さん(52)が自宅や博士の住まいだった「如己(にょこ)堂」を探したところ、計3個が現存することを確認した。

広島県福山市の郷土史家白井比佐雄さん(55)=同県教育委員会文化財課長=によると、原爆焼は被爆から5年後の50年ごろ、同県東部の神辺町(現福山市)を拠点とした「広島原爆記念会」が製作。原爆の悲劇を長く後世に伝えるのが目的で、売り上げの一部を広島市の復興や原爆孤児の支援に充てていたという。

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永井博士に原爆焼を贈ったのは、歌人で中国新聞社(広島市)の記者だった故山本康夫さん。陶器には平和を祈る山本さんの短歌が彫られている。山本さんの遺族宅で見つかった永井博士の礼状は1950年2月9日付だったという。

徳三郎さんは「もともと如己堂に原爆焼があるのは知っていたが、どんないわれがあるのか不明だった。長崎と広島が気持ちでつながっていたことを示す物だと思う」と語る。

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「原爆焼が使われた形跡はなく、大切に取っていたのでは。(祖父は)同じ被爆都市として広島に関心を持っていたはずで、もらってうれしかったと思う」と徳三郎さん。公開予定はなく、大切に保管するという。

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