原爆の子の像60年 禎子さん母校に資料室 折り鶴や手記 via 毎日新聞

広島市の平和記念公園にある「原爆の子の像」の建立から5日で60年。被爆10年後に白血病で亡くなり、像のモデルとなった佐々木禎子さんの母校、市立幟町小学校(同市中区)に今月12日、平和資料室が開設される。禎子さんが回復を祈って作った折り鶴、像の建立に尽力した同級生の手記などを展示する。同級生らは「子供たちが平和を願う心を受け継いでほしい」と力を込める。【高山梓】

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 同校は爆心地から1・1キロにあり、1945年8月6日の原爆投下で校舎が全壊するなど大きな被害を受けた。昨夏に被爆前後の学校や地域の写真など多くの資料が見つかり、資料室の開設を決定。禎子さんの関係資料のほか、被爆詩人・原民喜の詩集など約100点を収める。

 禎子さんの同級生、空田寛美さん(75)=同市=は開設に当たり、禎子さんが作った赤い折り鶴(高さ約4センチ)を寄贈した。禎子さんの遺族から形見として約20羽をもらい、これまで話を聞きに来た人などに少しずつ分け、これが最後の1羽。空田さんは「ずっと手元に置いておきたかったが、鶴を見て禎子さんが懸命に生きたいと思っていたことを感じてほしい」と話す。

 自身も被爆した同級生の川野登美子さん(75)=同市=は、60年前に像建立の募金活動に携わった。

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各地の子供から像にささげられた折り鶴を再生紙にして作った「折り鶴ノート」の無償配布にも力を注ぐ。

 同校の島本靖校長は「原爆被害のシンボルとなった禎子さんが、身近な人物と知るきっかけになれば。子供たちが平和な世の中をつくるため何ができるかを考える一歩にしたい」と話す。資料室は当面、金曜日午前9時~正午に予約制で公開される。希望者は同校(電話082・221・3013)へ。

全文は原爆の子の像60年 禎子さん母校に資料室 折り鶴や手記

 

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