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【秘録 今明かす「あの時」】福島第二原発の過酷事故を止めた懸命の30時間作業 通常なら機械を使い1カ月かかる難業 via Zakzak

★福島第二原発の奇跡(1)

2011年3月11日の東日本大震災で、東京電力福島第一原子力発電所で大事故が起こった。そのとき、直線距離で12キロしか離れていない同社の福島第二原発も危機に直面したが、過酷事故は避けられた。知られざる人々の奮闘を紹介したい。

「全電源を失った福島第一と状況が違い、電源が残った。その点で運が良かった」

第二原発の当時の所長、増田尚宏氏は事故を免れた理由を振り返った。

第一原発では、津波で非常用電源設備が壊れ、地震で外部電源も切れ全電源が喪失した。そして、冷却不能になって原子炉が加熱し、核燃料が破損した。

第二でも似た状況に陥った。震災時点で4つの原子炉すべてが稼働していたが津波が襲った。事前に想定した津波の高さは5メートル前後。ところが、最高9メートルに達し、防波堤を壊して乗り越えた。

(略)

第二原発は、4系統あった外部電源のうち1つが残った。さらに中央制御室が使え、監視と操作が行えた。4つのプラントには外部電源に加え、3台ずつ非常用発電機が備えられていた。1、2号機では地形の関係で水没個所が多く、それらがすべて壊れた。3号機は2つ、4号機は1つ残り、冷却は可能だった。

増田氏は的確な臨機の指示を出した。

直線距離で800メートル離れて残った外部電源から海辺の建屋まで、約200人もの社員と関連会社の社員の人力でケーブルを担ぎつなげた。ケーブルは太さ5センチほどで大変重い。建物を迂回(うかい)したり、上下があったりして、総延長は9キロメートルにもなった。通常なら機械を使って1カ月かかる作業を、13日深夜まで30時間で成し遂げた。その電力を使って注水し冷却ができた。

1号機は加熱して圧力が高まっており、あと数時間遅れれば原子炉内にたまった蒸気を外部に放出する「ベント」を決断せねばならないほど、切羽詰まった状況だった。

全文は【秘録 今明かす「あの時」】福島第二原発の過酷事故を止めた懸命の30時間作業 通常なら機械を使い1カ月かかる難業

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