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【水上文学と原発】㊤ 詩人 正津勉さん via 大分合同新聞

四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の運転差し止め訴訟では地震に対する安全想定が争点になる。互いに科学的立証に躍起になるが、かみあわないのは「人間と核」に対する立脚点の違いだろう。大分に縁のある作家水上勉(1919~2004年)は旧ソ連のチェルノブイリ事故を機に、原発に関する作品を世に問うた。人間の業を見詰める水上文学は原発をどう描いたのか。

人間の業見詰める
「水上さんが存命なら日本のこの状況を何と書くでしょう」。詩人の正津勉さん(71)は東京・高田馬場の喫茶店でこう話し始めた。水上は「原発銀座」と呼ばれる福井県おおい町出身。ふるさとに次々と建設される原発を憂いて作品を書きためた。
「福島第1原発の事故は6年たって急速に忘れ去られていまいか。水上さんの原発に対する発言を読みたくてエッセンスをまとめました」と正津さん。今年3月に「若狭がたり わが原発撰抄」(アーツアンドクラフツ)を発刊した。

(略)

文士としての考え
出会いは80年。水上が対話本を出した際に、当時編集者だった正津さんが担当した。「水上さんは若狭では神様のような人。建設が進んでいた原発に『なぜ反対されないんですか』と聞いたら苦虫をかみつぶしたような表情をした」と振り返る。「弟さんが原発で働いていたんです。書きにくかったのでしょう。それでも86年のチェルノブイリ事故で変わりました」

水上はその後、原発を訪ね、小浜市・明通寺の住職のもとで勉強するなど、文士としての考えを表明してきた。とりわけ敦賀の高速増殖炉などに菩薩(ぼさつ)名を命名したことに激しく憤ったという。

正津さんはこう指摘した。「福井県は日本一の幸せ県と呼ばれますが、女性の働き場、保育園、病院が整備されているのは原発マネーのおかげ。とんでもない箱物も次々と現れる。地域経済を回すには原発が稼働し続けなければならない。麻薬のようなものです」

(略)

「再び亀と原発とそれから」
ぼくは故郷ではタブーとされている原発が多すぎる問題を、しょっちゅう口にだしてきた。それで、婦人たちの眼を見ていてよろこびを感じ、このことは、かりに工事は続行中であるにしても、云いつづけねばと思いました。云いたいことを云わないでいると、ゆがんだ顔になります。云いつづけて、そう長くもないこれからのいのちを果てたい。(いのちの小さな声を聴け・90年)

全文は【水上文学と原発】㊤ 詩人 正津勉さん

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