被爆者への国家補償、旧厚生省職員が拡大懸念のメモ via 朝日新聞

被爆者援護のあり方を議論するため、1980年に開かれた国の諮問機関の会合で、当時の厚生省職員が「国家補償という言葉が独り歩きして悪影響を及ぼすのではないか」などと懸念を表明していたことを示すメモがみつかった。この諮問機関は結局、戦争被害者に国家補償を認めず我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。識者は「国の意向が結論に影響を与えた可能性は高い」と指摘する。

この会議は、厚生相(当時)が諮問して79~80年に14回にわたって開かれた「原爆被爆者対策基本問題懇談会」。情報公開請求を機に2009年、議事録の大半は開示されたが、懇談会の結論となる報告書の案が初めて示された80年8月の第11回会合の議事録は「不存在」とされていた。都内ではなく唯一、長野・軽井沢で開かれたこの会合は、研究者らの間では「報告書の方向性が固められた会合」とみられ、議論の内容が注目されてきた。

今回、新たにみつかったのは、この第11回会合のやりとりを示す13枚のメモ。発言者と発言内容が手書きされていた。厚生省職員が書いたとみられ、懇談会委員の親族宅にあった。同年7月の資料によれば、一連の会合では「事務当局が積極的に議論に参加することは許されておらず、現状説明しかできない」とされていたが、メモには厚生省職員の意見が記されていた。

メモによると、職員は報告書に国家補償が明記されると「国家補償という言葉のみが独り歩きして他の各方面に悪影響を及ぼすのではないか」と述べ、戦争被害者全体に国家補償が広がることに釘を刺していた。これを受け、座長の茅誠司・東大名誉教授(故人)が「国家補償という言葉のみが一人歩きをしないよう、意見書の中で十分歯止めをしておく必要がある」と発言していた。

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懇談会が翌12月にまとめた報告書では、原爆被害について「広い意味における国家補償の見地」から援護するものの、「国の完全な賠償責任を認める趣旨ではない」と説明。被爆者以外の戦争被害者には原則、我慢を強いる「受忍論」を打ち出した。95年に施行された被爆者援護法でもこの考え方は踏襲され、援護の対象は生存被爆者の放射線による健康被害のみで、国家補償は明記されなかった。

田村和之・広島大名誉教授(行政法)はみつかったメモについて

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「原爆で認めたら、ほかの戦争被害者にも広がりかねないと危機感を持ち、国家補償に歯止めをかけるよう促していたことを示すものだ」と指摘する。

原爆被害への国家補償を求めてきた日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)の田中熙巳(てるみ)・代表委員(85)は「国が戦争を始め、終結を引きのばしたから原爆被害がもたらされた。その責任を国が認めなければ、戦争の肯定につながりかねない」と批判している。(岡本玄)

全文は被爆者への国家補償、旧厚生省職員が拡大懸念のメモ

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