東日本大震災 福島第1原発事故 作業員、苦悩と希望 農家廃業、食べていくため/被災者の感謝、心の励みに via 毎日新聞

 東京電力福島第1原発事故後、原発廃炉や除染などに従事する「復興作業員」が全国から福島に集まり、被災地再生の一翼を担っている。要員は、廃炉関係だけでも1日5000人超に上るが、地域との深い交流はなく、専用宿舎と職場を往復する日々を送る人が多い。事故の風評被害で果樹園の経営をあきらめた農家、職場になじめず転職を繰り返し、生き方を模索する若者……。作業員たちにそれぞれの事情を聴いた。【曽根田和久、岸慶太】

「結構評判がよかったんですよ。完熟リンゴ」。4年前から家屋の除染や原発廃炉に携わる50代の男性は、復興作業の車が行き交う国道6号近くの公園で懐かしんだ。

県南部出身。今は県内の除染で出た汚染土などを保管する「中間貯蔵施設」(大熊、双葉町)の建設現場で整地作業などに携わる。 元は自動車関係の会社に勤める兼業農家だった。自慢のリンゴは糖度が高く、直売で東京の消費者にも高く評価されていた。「農業一本で食おう」と、リンゴの木を増やしていたころ原発事故が起きた。風評被害で注文の電話が鳴らない。肥料代すら回収できず赤字が膨らむ。意を決して向かったハローワークで見つけたのが、放射性物質を洗い落とす除染作業員の求人だった。

 復興作業員は、放射線量の高い地域で働くことが多く、日給は一般的な土木作業よりも「1万円ほど高い」。第1原発構内の作業となれば、月収が50万円を上回ることもある。

 一方、地域内で見ず知らずの作業員が急増し、住民の不安そうな視線を感じることもある。一部の作業員が窃盗や傷害事件などで逮捕されたことも影響しているようだ。事故から6年半。「早く復興が進めば、農家に戻れるかもしれない」。当初抱いていたそんな淡い期待も、少しずつ、失われた。

 しかし、家族を抱えて背に腹は代えられない。「同じ県民が大変なのだから助けないと」。そう自らに言い聞かせることもあったが、念入りに除染した家に住人が戻らないこともある。「何のための作業なのか」と割り切れなさも感じる。

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