チェルノブイリ事故から31年 当時のお茶を検査しました【生活クラブ生協連合会】 via 生活クラブ生協連合会

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1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起きた当時、国は輸入食品に対する放射能の暫定基準値を370Bq/kg(ベクレル)としました。生活クラブは、国の基準のさらに10分の1である「37Bq/kg」を暫定自主基準値とし、自主基準値を超えた食品は供給をストップするという措置をとりました。この自主基準値により、イタリア産のスパゲティやトルコ産のローレルなど、供給ストップになった品目もありました。

そうしたヨーロッパ産ではない、1986年収穫の日本茶から、自主基準値を上回る放射能が検出されたのが翌年の1987年のこと。生活クラブにおける三重県のわたらい茶の検査で、最大で227Bq/kgのセシウムが検出されました。チェルノブイリの放射能汚染は日本にまで届き、特に、ちょうど一番茶の収穫時期にあたったお茶の葉が、大きく汚染の被害を受けた形です。227Bq/kgという数値は国の基準値以下ではあったものの、生活クラブの自主基準値は上回っていたため供給停止の措置がとられました。そのわたらい茶の量はなんと7.6トン。その時期の他の日本茶の多くにも同じように放射能が降り注いだはずですが、国の基準を超えてさえいなければ流通したと思われます。

放射能汚染のために、出荷できないお茶を7トン以上も抱えることになってしまったわたらい茶の生産者。この状況を受け、生産者と痛みを分かち合いながら問題を共に考えていこうという動きが生まれ、供給停止となったわたらい茶を生活クラブで引き取り、各地域の生活クラブに配布して原発や放射能について考える材料としていく、という活動になりました。お茶の取り扱いは各地域に委ねられ、配送センターでの展示や、催しで展示したりなど、さまざまな使い方がされました。

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検査結果は
■セシウム134 不検出 (検出下限値 0.15Bq/kg)
■セシウム137 23.0Bq/kg

というものでした。セシウム134が不検出なのは予測通り。セシウム137は1kgあたり23ベクレルという量が残っていました。

この結果から、半減期30年のセシウム137は、30年前には現在の倍量の1kgあたり46ベクレルであったことがわかります。また、当時はそれと同量のセシウム134があったと推定できるので、この試料の場合、セシウム合計では1kgあたり92ベクレルの放射能汚染を受けていたと推計されます。1987年の放射能検査ではいくつかのわたらい茶の検体を測定したうちの最高値が227Bq/kgでしたが、茶畑の位置や斜面の向き、海抜高度などによっても汚染の具合は異なるため、当時92Bq/kgだったと推定される今回の茶葉の値はサンプルのばらつきの範囲と考えられます。

当時92Bq/kgだった茶葉の放射能は、30年経っても、23Bq/kgまでにしか減りません。ここからさらに30年経っても、セシウム137の量が半減するだけなので、11Bq/kgのセシウムが残ってしまうことになります。一度汚染されたものからセシウム137が検出できなくなるまでには、永い年月がかかることの証明ともなる検査結果でした。

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