<原発避難集団訴訟>被災者の救済 道険しく via 河北新報

 東京電力福島第1原発事故の避難者集団訴訟で、一つの判決の意味を考え続けている。3月17日の前橋地裁判決だ。「津波は予見できた」と東電と国の責任を初めて認めたことに注目が集まったが、容認された賠償額は低く、原告の落胆は大きい。法廷は全ての避難者救済の場になり得るわけではない。支援の在り方を見直すべきだと、突き付けられているのではないか。

「東電は2008年には津波を予見していた」「国が規制権限を行使していれば原発事故は防げた」。地裁は最大の争点だった津波の予見可能性を認め、東電と国に過失があるとして、両者が同等の賠償責任を負うと判断した。

判決は「画期的」と評価されたが、原告に会心の笑顔はなかった。「避難の苦痛は誰もが同じ」との趣旨で1人一律1100万円の損害賠償を求めたものの、認められたのは原告の半数以下の62人。残る72人は棄却された。

容認額も請求額と開きがある。避難区域からの避難者で75万~350万円。区域外からの自主避難者は7万~73万円だった。

賠償問題に詳しい吉村良一立命館大法科大学院教授(環境法)は「強制的な避難かどうかで、判決の容認額の起点が異なった」と分析する。

強制的な場合は主に数百万円、自主避難者は数十万円を起点に慰謝料を算定。東電から既に支払われた額を除いた分を原告の請求額と認めたとみる。裏を返せば「避難生活の苦痛は同じ」との原告側の主張は重視されなかったことになる。

「(裁判に)意味がなかったとは思わないが、賠償額に、私たちの6年間の苦労はたったこれだけのものだったのかと思った」。原告の一人は吐露した。

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