福島原発事故 命の原乳、出荷 避難指示区域で初の再開 via 毎日新聞

(抜粋)

 2011年4月、牧場が警戒区域に指定された後も、蛭田さんは避難先から通いながら餌やりを続けたものの、栄養不足などで牛は次第に息絶えていった。その年の冬を越すのは難しかった。内部被ばくを調査する研究機関への検体提供に「牛の命が世の中の役に立てるなら」と同意し、残った10頭を安楽死させた。互いに涙を流しながらの別れだった。

 原発事故から2年が過ぎた夏、町の農業復興組合で農地を維持する草刈り作業に従事しながら、酪農への思いをつないでいた。

 「夢がかなうなら、またここに牛の鳴き声を響き渡らせたい」。牧場の隅々まで除染し、実証試験で牧草の安全性を確かめた。酪農は「取り上げられたら何も残らないほど人生の全て」だった。

 15年9月に町の避難指示が解除。風評被害への懸念にさいなまれながらも、昨年4月に6頭の牛を導入し、試験搾乳に踏み出した。程なく1頭の雌牛が無事に生まれたときは、目頭が熱くなった。みとるほかなく、死なせてしまった牛たちが「生まれ変わってきた」気がした。

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