<復興を生きる>キノコ産地復活へ孤軍奮闘via河北新報

福島県の阿武隈山地は、シイタケ栽培などに使う「キノコ原木」の一大生産地だった。東京電力福島第1原発事故で壊滅状態に陥った産地の復活を信じ、原木の洗浄作業と放射能検査を続ける人がいる。

◎3・11大震災/キノコ原木生産の阿崎商店社長 阿崎茂幸さん=福島県石川町

切りそろえた原木を1本ずつ検査機に入れる。放射性セシウム濃度が1キログラム当たり20ベクレルを下回れば「合格」。上回れば洗浄機にかけ、再び線量を測る。
工場だった建物を改修した福島県玉川村の作業場。「原木の線量が20ベクレル以下ならシイタケはほとんどND(不検出)になる。だいたい分かってきたんだ」。阿崎商店社長の阿崎茂幸さん(73)が話す。

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慣れ親しんだ阿武隈山地に、原発から大量放出された放射性物質が降り注ぎ、原木は国の基準(1キログラム当たり50ベクレル)を超えた。高圧ホースを改造した洗浄機を自作するなど除染方法を模索した。原木生産に組合組織はなく、孤軍奮闘の毎日だった。
昨年末、県が開発した非破壊検査機と自動洗浄機を借り、キノコの試験栽培を本格化させた。東電の賠償金では賄えず、自費をつぎ込む。「増えたのは借金。減ったのは髪の毛と貯金」と笑う。

データが集まり、一定の線量は洗浄で下げられることは分かったが、経費は1本1000円近い。原木の取引価格は通常1本200円程度。東電への求償も考えるが、賠償がいつまで続くかは見通せない。
原木生産は、20~30年周期で伐採と切り株から芽が出るサイクルを生み出し、森林の荒廃を防ぐ側面もあった。山林全体の除染はほぼ不可能。放射能の自然減衰を待つ間に、シイタケ農家の高齢化は確実に進む。産地再生には高く厚い壁が立ちふさがる。
山の持ち主との信頼関係や、山仕事をする作業員の協力があってこそ、原木生産を長く続けてこられた、と思っている。「世話になった人たちを見捨てられない。子どもらを育てることができたのも、この仕事のおかげ。命ある限りやり遂げる」(福島総局・大友庸一)

 

 

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