原発事故から5年、避難するお年寄りを追ったドキュメンタリー映画 via ハフィントンポスト

東京電力福島第一原子力発電所の事故から5年が過ぎました。幸せな老後を送るはずだったお年寄りが、仮設住宅で暮らす日々を追ったドキュメンタリー映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」(古居みずえ監督)が公開されます。
「日本一美しい村」といわれた福島県飯舘村は、原発事故による放射能の影響で避難区域に指定されました。映画に登場するのは二人とも農家で、村民の菅野栄子さん(79)と、親戚の菅野芳子さん(78)です。

栄子さんは飯舘村から約20キロ離れた福島県伊達市の仮設住宅で暮らすことになります。孫に囲まれた老後を夢見ていた生活は一変し、慣れない土地での一人暮らし。心の支えは、避難生活中に両親を亡くし、栄子さんの仮設住宅の隣の部屋に移ってきた芳子さんです。

飯舘村のことをユーモアをまじえて語る栄子さんと、言葉数が少ない芳子さん。二人の相性はよく、「ばば漫才」と称して冗談を言い合います。畑で得意の農作業をして、食卓に手料理を並べます。県外の人に飯舘村の食文化を伝える活動も一緒に続けます。

楽しそうに見える一面もありますが、原発事故で失ったものは小さくありません。飯舘村に立ち入る場面では、放射能で汚染された土などが入った黒い袋や、手入れされていない自宅が映し出されます。栄子さんは、今のふるさとは仮設住宅だとも感じますが、震災前に近くで暮らしていた子どもや孫は別の場所に避難しています。
古居監督は、30年近く中東のパレスチナで取材を続けてきたジャーナリストです。内戦で着の身着のまま難民になった人たちを追ってきました。飯舘村の取材は「放射能で生活をうばわれた人たちとパレスチナの人たちがどこかで重なった」と話します。
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歴史に残る大事故が起き、「孫たちに気持ちを伝えていきたいが、心の内をどう表現したらいいかわからなかった」と振り返ります。「映像で自分の本心を伝えられるのであれば、と映画に出ることを決断させてもらいました」

芳子さんは「原発事故さえなければ、飯舘村から出ることはなかった。孫が9人いて、2人は結婚しました。孫からは『飯舘さ僕がくるから』と言われていましたが、原発事故でどうすることもできません」。今後のことについては、自立できるうちは自立して、あとは息子や施設にお世話になるか、と考えています。口癖の「いまは検討中です」で話を締めくくりました。高いところに上がったことがないからと、恐縮しきりでした。

飯舘村は2017年春の避難指示解除を目指しています。避難先から村にもどるかどうか、村民はこれから難しい選択を迫られます。

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