チェルノブイリ原発事故から30年 via ロシアNOW

チェルノブイリ原子力発電所の事故から30年目を迎えるにあたり、ロシアNOWの記者がロシア国内で最も深刻な被害を受けた現地におもむき、地元民の現在の生活の様子を取材した。

ロシアのブリャンスク州南西部に位置するノヴォズィプコフ市(ロシアがウクライナおよびベラルーシと国境を接する場所)周辺に行ったことのある人はいる だろうか。きっとロシアの普通の田舎だと思ったに違いない。デコボコの道、過疎化した村、雑草の伸びた大地。ノヴォズィプコフ市がここ30年避難区域に指 定されており、ブリャンスク州の南西部はロシアで最も深刻なチェルノブイリ原発事故の被害を受けたことを示す看板や印などは、見当たらない。

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避難区域

1980年代終わりになってようやく、ブリャンスク州南西部の数百の市町村が避難区域に加えられた。だが避難は強制ではなく、希望者を避難させるというものだった。

なぜそのようになったのだろうか。

第一に、ソ連ではチェルノブイリまで、広大な領域での放射能事故の被害が未経験で、モニタリング・システムも評価方法もなかった。そのため、作業に何年も要した。

第二に、事故とその後の処理の時期がソ連末期と1990年代の混乱期であったため、除染や住民の移住支援に予算が足りなかった。

第三に、住民の多くが移住を望まなかった。大部分は危険性を知りながらも残り、また避難した住民の多くが戻ってきた。ただ、正確な統計はない。

子どもの発達

1986年、ガリーナ・スヴィリデンコさんは16歳の高校生だった。息子のデニスさんも現在ちょうど16歳。デニスさんには耳がなく、背骨や骨が 曲がっており、発達の遅れがある。これまでに8回の手術を経験している。ガリーナさんが息子の発達異常と放射能の関係を証明するのに3年を要した。

デニスさん以外に、ノヴォズィプコフ市では2000年、ダウン症候群の子どもが7人誕生した。元ブリャンスク州副知事で現在有名な生態学者になっ ているリュドミラ・コモゴルツェワさんの統計調査によると、チェルノブイリ原発事故の後、慢性疾患を抱える児童の割合は8%から80%まで増え、州の住民 で癌になっている人はロシア国内の平均の2.5倍多い。

ノヴォズィプコフ地方病院の外科医ヴィクトル・ハナエフさんによると、最も危険なのは、放射線を浴びることそのものよりも、地元の食品など、少量 の放射線が体内に入って蓄積されることだという。長年累積された放射線が癌を引き起こす可能性があり、本人だけでなく、その子孫にも影響がおよぶ可能性が ある。

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「30年間食べているけど、どうってことない」と住民らは話す。だが、地元の放射線モニタリング研究所の職員によると、土壌がきれいになったところがあったとしても、食品の放射能レベルが30年前と比べて低くなっているわけではないという。

とはいえ、2016年のブリャンスク州の避難対象市町村は、以前の226ヶ所から26ヶ所まで減っている。正式な安全居住地にはノヴォズィプコフ市も含まれる。避難区域が減ったことで、社会保障の支払いも減った。

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補助金と経済発展

この状況すべてにおいて、国家と地元の行政にすべての非を押し付けたい誘惑はあるだう。地域再生にはもっと予算を配分できたはずなのだから。住民 が実際に望んでいるのは、避難ではなく、避難指定によって変わる補助金の復活であり、そこが食い違う点である。2000~6000ルーブル(約 3300~9900円)の補助金は、就職先が限られ、1万ルーブル(約1万6500円)が十分な給与と考えられているこの地域では、大きい。

全文はチェルノブイリ原発事故から30年

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