福島第1、事故背景に「閉鎖性」=元原発所長の東電OB-東日本大震災5年 via 時事ドットコム

(抜粋)

「原子力部門は閉鎖的なムラで、外の意見に耳を傾けなかった」と話すのは宅間正夫さん(78)。東電の火力部門から原子力部門に移り、福島第1原発の技術課長や柏崎刈羽原発(新潟県)の所長などを歴任した。
石油ショックを経て、火力に代わる新エネルギーとして原子力が期待を集めていた時期。東電の原子力部門は「最先端技術を扱っているというエリート意識が強 かった一方、情実人事やごますりが横行していた。旧日本軍と一緒だった」と宅間さんは振り返る。「居心地の悪い職場だった。途中から原子力部門に行くと昇 進もしにくかった」。
1990年代後半には監査役として、情報隠しが行われやすいと体質を批判したが、改められることはなかったという。「原子 力はもともと軍事技術として生み出され、機密性が高い。社会との対話もないまま、方向性も(電力会社でつくる)電気事業連合会で決まっていた」と指摘す る。

(略)

東京工業大特任教授の二見常夫さん(73)は97年から2000年にかけ、福島第1原発所長を務めた。大規模工場などが電力会社を自由に選べることが決 まった90年代後半から、社内で「普通の会社になれ」と盛んに言われるようになったという。その意味を二見さんは「コストダウンに大きくかじを切ったとい うこと」と説明する。
その後、東電の原発でトラブル隠しが発覚した。地元の不信を招き、ゴルフでスコアをごまかした時はトラブル隠しに例え、「また東電か」と言い合う光景が見られたという。「電力自由化と合わせて、徐々に東電の体力は奪われた」と二見さんはみる。
「コストを考えるなら、現場を分かった人間がトップにいないといけない。原発は大量の放射能を内蔵しているのだから」と強調する。

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