福島復興の現実(3) 許してはもらえぬが via 西日本新聞

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 「お墓まで片付けてくれるのか。大変だな、東電の人は」。福島市に避難中の長岡惣一さん(76)が声を掛けると、東電福島復興本社復興推進室の七夕(たなばた)武さん(59)は「ご迷惑をお掛けしています」と頭を下げた。津波に巻き込まれた長岡さんの次女(享年42)もここに眠る。原発事故で捜索は遅れた。娘の死と向き合うたび「悔やんでも悔やみ切れねぇ」思いがこみ上げるが「誰を怒ったってどうしようもねぇ。震災が悪いだけだ」。
 七夕さんは震災当時、同県富岡町にある事業所で働いていた。「(放射性物質は原発の外に)出ないと俺たちも信じていた。それを信じて受け入れてくれた地元の人たちを結果的に裏切ってしまった」。57歳で定年退職し地元の千葉県に帰った後、再雇用で福島県に戻ってきた。
 怒りをぶつける被災者にひたすら謝り、家の片付けや除草作業にいそしむ。「許してはもらえないけど、少しでも役に立てれば」
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 東電は2013年1月、原発事故の損害賠償や除染、復興推進を担う福島復興本社を設立した。復興推進室は被災者の一時帰宅などを手伝う活動に取り組む。全社員が対象で参加は延べ22万人を超えた。
 「ここがおじの家。前の畑で遊んだ後、角のたばこ店でアイスを食べてましたね」。復興推進室の渡辺雄一郎さん(41)にとって浪江町は父の故郷で「夏休みの原風景がある場所」だ。多くの親戚が避難を強いられており「福島のために役立ちたい」と業務に励む。
 被災者の心境は複雑だ。東電社員へのねぎらいの言葉が増えた一方で、「手伝ってもらうには申請が必要。『困ってることはないですか』と聞きに来るのが当然じゃないか」と同県楢葉町の70代男性。同県飯舘村の60代女性も「東電に手伝ってもらいたくはない。放射能が降る前に戻してくれればいいだけ」と語気を強めた。
 原発事故から5年。一部地域では避難指示が解除され、復興の兆しが出てきたが、将来の見通しは立たない。「ゴールはもっともっと先にあると感じている。一人でも多くの方が帰町したいという思いを抱けるように一つ一つの活動を丁寧にやっていきたい」。復興推進室浪江町グループのチームリーダーを務める松崎裕之さん(45)の目の前には、生活の息遣いが消えて久しい町並みが広がる。
=2016/03/01付 西日本新聞朝刊=

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