【ビキニ被ばく60年】第3部:伝え継ぐ(5)忘れずにつなぐ努力を via カナロコ

米国の水爆実験で第五福竜丸が死の灰を浴びた「ビキニデー」と同じように、神奈川で忘れてはならない日がある。1954年4月20日。旧三崎町 (現・三浦市)の三崎魚市場前で「水爆対策三崎町民大会」が開かれた。放射能の影響でマグロを全量廃棄した三崎のマグロ漁船「第十三光栄丸」の機関長らが 被害を訴え、「原爆」そのものの禁止を求める先進的な決議が採択された。

広島、長崎に続く3度目の原水爆被害と引き換えに、国内の反核運動の契機ともなったビキニ事件。その胎動の一つが、三崎からも生まれていた。

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ちょうど60年後の4月20日、同じ場所でビキニ被災60周年三浦市民集会が開かれた。実行委員長でフリーライターの森田喜一(79)=同市栄町=は、予 想をはるかに上回る約400人の来場者に驚いた。元マグロ漁船員の鈴木若雄や広島で被爆した岡地正史、福島の原発事故の被災者である穂積順子が登壇して自 らの経験を語り、アンケートに多くの感想が寄せられた。横浜市の女性会社員(30)は集会後、「ビキニ事件が三浦と関わりがあるのは知らなかった。福島の 原発事故も起き、一体、核の被害が何回あったら分かるのだろう」と話した。

(略)

「三浦の記録」を手にしたマグロ業界に身を置く地元の若者が3月、市内で森田ら関係者を招いた講演会を開いた。7月には電子化され、市ホームページでいつでも誰でも見られるようになった。

関心の高まりを感じているのは森田だけではない。高知県を拠点にビキニ事件の調査をしてきた太平洋核被災支援センター事務局長の山下正寿(69)も「ビキ ニ事件当時、関連して広島、長崎の問題が浮上し援護法につながったように、今度は原発事故に絡んでビキニ事件が浮上してきた」と指摘する。

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一時は忘れられ、歴史の闇にのまれるも、再び痛みが共鳴し合い、今なお苦しむ当事者たちに光が当たる。10年にわたる第五福竜丸の保存運動に取り組んだ山 村茂雄(82)=第五福竜丸平和協会顧問=は「死の灰が降ったときの市民の不安と、いまだ故郷に帰れない福島の人々の不安はつながっている。今のことを考 えるとき、過去のことを思い出してつなげてほしい。集団的自衛権を考えるのならば、先の戦争で亡くなった人を思い出してほしい」と話す。山村自身、先の大 戦で父を亡くした。7歳の時だった。

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