エマニュエル・ルパージュ講演会「『革命』と『原発』と~社会を描くバンド・デシネ」ご報告 via 宮本大人のミヤモメモ

(抜粋)

その後、いったん休憩をはさんで『チェルノブイリの春』のお話。パワポではありませんでしたが、これも、スキャンされたページ画像と、実際の本を開いて投影器で見せながら、どのような経緯でチェルノブイリに行ったかから語って下さいました。

もともとこの本は、反原発団体の活動の一環として、取材の結果を本にし、その売上金で、チェルノブイリの子供を汚染のない場所で遊ばせてあげるプロジェクトの成果でした。

現地入り当初は、原発事故の恐ろしさを強調するのにふさわしい死の世界の絵を求めて行き、そして廃墟と化した遊園地など、そうした光景はあ る意味期待通りにすぐに見出すことができたのだが、次第に、その地の自然の風景の美しさや、残ったり戻ってきたりして暮らしている人たちの「生」の方が目 に入るようになり、それでもなお自分はマスクをし、靴を防護用のビニールで覆って、その美しい風景をスケッチしていて、自分が持っているガイガーカウンターもそうした対応が必要な数値を示している、という現実の中で過ごすうち、見えているものと見えていないもののギャップを、自分の五感では感じられないという事実にめまいを覚えるようになっていった、そのプロセスを可能な限り自分の感じたままに表現しようとした、とのことでした。

実際、この作品では、そうしたある意味ステレオタイプ化 した「死の世界」としてのチェルノブイリの光景や、ルパージュさん自身の行動を描いた部分はモノクロで描かれ、次第に彼の目を奪うようになっていった美し い自然の風景や、生き生きした子供たちの顔などはカラーで描かれ、そうしたモノクロのコマとカラーのコマが一つのページの中に混在するといった表現上の工 夫が行われていて、前半から後半に移るに従ってカラーのコマの割合が増えていきます。ルパージュさん自身の感じためまいの感覚、それを対象化し、可能な限 りその感じたままに伝えようとする表現上の工夫に、作家の誠実さと才能が感じられる画面になっています(文章はフランス語なので読めないんですが)。邦訳が待たれます。

全文はエマニュエル・ルパージュ講演会「『革命』と『原発』と~社会を描くバンド・デシネ」ご報告

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