政府や東電には「わかんねぇだろうな」 松鶴家千とせさん via msn.産経ニュース

2011.8.21 07:00

太田中学校(当時)の文化祭でギターを弾く松鶴家千とせさん(右端)。この頃、ジャズにあこがれていた

おれが夕焼けだったころ、弟は小焼けだった…

メルヘンの世界にシュールな 笑いを生み出す漫談家、松鶴家千とせさん(73)は福島県南相馬市の出身、同市のふるさと親善大使でもある。「夕焼け」は幼い頃に満州で見た記憶だが、続 く「父さんは胸焼けで、母さんは霜焼け」のせりふには、貧しかった福島での暮らしが刻まれている。

「食べ物はサツマイモばかり。だから父さんはいつも胸焼けしていた。母さんは脂っ気のないものばかりだったから、霜焼けだったんだ」

かあさんの歌に合わせて語る「おれが手袋だったころ、弟は胃袋…」のネタにも、母に手袋をプレゼントしたかったこと、弟はいつも空腹だった記憶が込められているのだという。

続きは政府や東電には「わかんねぇだろうな」 松鶴家千とせさん

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