原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?via 日経ビジネスonline

池上彰の「学問のススメ」

加藤陽子・東京大学文学部教授に聞く【第1回】

2011年8月9日(火)

池上:3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所 事故を受けて、加藤先生が書かれたコラムを、3月26日の毎日新聞朝刊で読みました。大岡昇平の『戦争』の一節を引いていましたね。『(昭和)十九年に積 み出された時、どうせ殺される命なら、どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったかという反省が頭をかすめた、(中略)この軍隊を自分が許容 しているんだから、その前提に立っていうのでなければならない』と。

改めてお聞きしたいのですが、なぜあの一節を引用したのですか?

大岡昇平のように「引き受ける」ことから始めるべき

加藤:大岡は、35歳となった1944年7月、フィリピンへと向 かうちっぽけな輸送船に乗せられるとき、初めてはっきりと死を自覚しました。そして自分自身、軍部を冷眼視し批判したつもりになっていたけれども、本当は 許容していたのだということが身にしみる。ですから、自分が戦争や軍隊を書くときには、自らがそれらを許容していたという率直な感慨を前提として書かねば ならないと心に決めるのですね。歴史を外から批判するのではなく、「引き受ける」感覚とでもいうのでしょうか。

ですから大岡は、『レイテ戦記』で、非常にクールな書き方をするわけですね。出だしは、「比島派遣第十四軍隷下の第十六師団が、レイテ島進出の命令に接したのは、昭和十九年四月五日であった」となっています。

それが読む人の心に訴える。なぜでしょう。それは、大岡にとっては自らが捕虜となり渦中にいたレイテ島での戦いを、極めて冷静に書くことで、大岡が、同 時代の歴史を「引き受ける」感覚、軍部の暴走を許容したのは自分であり国民である、との深い洞察が読む者に伝わるからです。上っ面だけの批判では、大岡は 歴史の外部に立つ者になってしまう。それが『レイテ戦記』にはないからです。

震災と津波は天災ですが、今回の原発事故はその全貌が明らかになるにつれて、人災の側面が極めて大きいことがわかりました。

続きは原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?

では、その責めを負うのは誰か? 国か? 東京電力か? いや、それだけじゃない。事故が起きる当日まで、電力の大量消費の便利さを積極的に享受してい たのは、私たち一人一人ではないのか。となると、大岡昇平に倣って、私たちは、まさに己が干与した事態について「引き受ける」ことから再スタートしない と、建設的な議論もましてや本当の復興も難しいのでは、と思ったのです。

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