『お部屋2190/高円寺のデモをめぐるさまざま 1』 on ポット出版

双葉町の人と知り合えただけで私にとっては意義があったのですが、こういう行動に対して、必ず文句をつけてくるのがいます。もちろん、デモ主催者や参加者が真摯に受け止めるべき批判はありますが(その一例は「高円寺のデモをめぐるさまざま 2」の追記参照)、その多くはイチャモンと言っていい。

自分がやれば解消できる問題を他者の批判とするような真似だけはやるまいと私はずっと「マツワル」に書いてきました。若い頃に比すと、すっかりデモの類いからは足が遠ざかってますが、行かない自分を肯定するために、他者の足を引っ張ることはしたくない。

そういった類いのイチャモンを言う人たちは昔からいましたが、どうも増えているような気がします。ネットのせいで、そういった声が出やすくなっただけかもしれないですが。

たとえば「あのデモは左翼的でカッコ悪い」「あんなことをしても人は集まらない」「あれでは何も変わらない」といったもの。「カッコ悪い」と思うデモは私にもあります。でも、それって、ピーマンが嫌いという以上の意味はないです。趣味のレベルであっても、「あれ、嫌い」「あれ、だっせえ」と表明していいに決まってますが、それがあたかも普遍性をもつかのように装うと、自分に返ってきてしまいます。

全文は『お部屋2190/高円寺のデモをめぐるさまざま 1』から。

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