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【対談】『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』榊原崇仁×『孤塁』吉田千亜~終わらない福島第一原発事故を追い続ける理由~ via 週プレNEWS

今年3月で発生から10年となる福島原発事故。時間の経過とともに事実究明や責任追及が希薄になるなか、「なかったことにしないで」「忘れないで」と叫び続けてきた人たちがいる。東京新聞記者の榊原崇仁(さかきばら・たかひと)氏もそのひとりだ。 このたび、榊原氏が『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』(集英社新書)を上梓したのを機に、『ルポ母子避難』(岩波新書)や『孤塁』(岩波書店)などの著者であるフリーライターの吉田千亜(よしだ・ちあ)氏と対談。”なかったこと”にはさせない、という一心で寄り添ってきた”その後の福島”、そしてまだ”終わっていない”原発事故について見つめ直していく。 * * * ■知りたかった「甲状腺内部被ばくの対応」 (略) 榊原 本のテーマになった「甲状腺内部被ばく」の取材は2013年の秋に始めました。チェルノブイリ原発事故では甲状腺内部被ばくが問題になったのに、福島原発事故では、誰がどれだけ被ばくしたか、政府はほとんど測らなかったんです。コロナ禍でPCR検査の数がなかなか増えなかったのと似ていますよね。きちんと調べなかった内幕をつかむため、情報公開制度(情報公開法などに基づき、行政側が持つ文書の複写を求める制度)を活用して、2年ほどかけて2万枚余りの内部文書を手に入れたんですけど、転勤になってしまって。福島原発事故の取材は管轄外になったので、関係者取材ができなくなったんです。 それでも赴任先では比較的時間に余裕があったので、できることをやろうと考えました。入手済みの文書から事故後の住民対応はだいたい分かったので、事故前に想定された対応手順を調べることにしました。実際の対応は想定通りだったのか、やるべきことをやらなかったのか検証したかったので。それでウェブ上にある政府の会議資料を読んだり、各地の図書館にある文書を取り寄せたりしました。トータルで30年分くらい。愛知にいた2年半はその作業をやって、2018年の8月に東京に戻って改めて取材して、という感じでした。 (略) 榊原 僕自身は被害に遭った当事者ではない、第三者的な立場に過ぎません。その僕でさえ、「行政側が被ばくの状況を丁寧に調べないのはなぜなのか」「何をやっていたのか」と疑問を抱き続けてきたわけだから、当事者の人たちはもっともっと疑問に思ってきたはずなんです。 吉田 本当にそう。榊原さんが明らかにしてくれた「甲状腺内部被ばく」の国や行政の対応について、被ばくの可能性を抱える人たちは大きな疑問を持ったままなんですよね。だから、『福島が沈黙した日』の中で「原発から○キロ」といった記述を見るたびに、「ああ、あの人はここにいたはず」「ああ、あの人もここにいた」って、たくさんの方々の顔が浮かびました。そういった原発周辺から避難した方や、福島県内外の事故に関わるたくさんの方に読んでほしいと思いました。「知りたい」と思った人が、「知りたい」と思った時にそれが叶うためには、事実が残されなきゃいけないんです。 (略) ■「まだ終わっていない」—-私たちが取材し続ける理由 榊原 僕は「被災した方々は汚染が到達する前に避難できたのだろうか」「政府の指示は適切だったのだろうか」「それを確認するために被ばくの状況をきちんとつかむべきだったのではないか」という問題意識を持って取材を進めてきました。そんな中で参考にさせてもらったのが、千亜さんの『孤塁』でした。あの本は一般的に被災地の消防士さんの話として捉えられていると思うんですけど、僕は少し読み方が違ったんです。福島第一原発の近くから”逃げ遅れた人たち”の話がたくさん出てくると思って読んでいました。特に3号機の爆発について触れているあたりを読んでいくと。 前々から千亜さんも甲状腺の内部被ばくについて書いていたので、最初はむしろ「なぜ消防士さんの話を書いたんだろう?」と思いながら読んでいたんですが、途中で「ああ、これは”逃げ遅れた人たち”や”逃げられなかった人たち”の物語でもあるんだ」と受け止めました。問題意識は一緒なんだって。ちょうど『孤塁』を岩波書店の『世界』で連載し始めたタイミングと、僕が東京新聞で甲状腺内部被ばくに関する連載を始めたタイミングが重なったこともあって、『孤塁』は詳しく読ませていただきました。 吉田 気づいてくれてありがとう。そこは、問題意識がありました。私も初期被ばく、初期避難行動についてとても関心があって、連載時から榊原さんの記事には注目していました。榊原さんの原稿には専門的な用語や数字がたくさん出てくるので、最初は難しいなと感じる人もいるかもしれないけれど、本の中では、重要な部分を繰り返し説明してくれていて分かりやすいので、読み進めていくうちに「あ、そういうことか」と腑に落ちると思います。 榊原 体に付いた汚染の程度を調べる「スクリーニング」で言えば、1万3000cpm(cpm=放射線測定器の値)とか10万cpmとかね。『福島が沈黙した日』の中には、いくつか数字が出てくるんですが、数字ひとつひとつの意味、行なわれた行為ひとつひとつの意図を改めて問い直す必要があると思ったんです。 先に挙げた数字はメディアでも頻繁に報じられていたはずなんですが、その数字がどんな意味を持つのか、詳しく伝えられてきませんでした。行政側が基準値や手順を変えた際、「専門家を交えて話し合った結果」「問題はない値」という趣旨の情報を出すと、そのまま報じられていたようでした。原発事故の直後は次々にいろんなトピックスが出てきていたから、それに対応する記者たちは手一杯で、あまり検証されずに流されていった印象です。僕の場合、事故発生からしばらくたった段階で行政側の対応について調べだしたので、一歩引いた立場で「この数字の意味は何だろう」と落ち着いて考えることができたのかもしれません。 吉田 『孤塁』の中に出てくる消防士さんのひとりが、基準値が10万に上がった時に、「10万ってなんだよ」って言っていたのが印象的で。当事者の人たちも、その数字の引き上げはおかしい、と思っていたのに、勝手に「大丈夫」って突き放されてしまったんですよね。被ばくしてしまったかもしれない逃げ遅れた人、逃げられなかった人、そこで事故処理や救助活動をしていた人、その基準値の決定にはまったく関われなかった人たちは、みんな「なんで?」って思ったはずなのにね。 被災地や、そこから避難した方々から話を聞いていると、初期被ばくを気にされている方って本当に多いんです。それが怖いから避難したんだよ、という方もたくさんおられて、中には「自分の選択が正しかったのか、正しくなかったのかという思いを一生抱えて生きていかなきゃいけない」とおっしゃっている方もいました。あの時何があったのか、自分や自分の大切な人がどれだけ被ばくしたのか、それがあまりに残酷な事実だったとしても、私だったら知りたい。もちろん、さまざまなつらい経験をしておられるので、もう知りたくない、これ以上はたくさんだ、という方もいるかもしれないけれど、もしいつか、知りたいと思った時、当事者なのに事実を知るチャンスさえないのは、あまりにも悔しいと思うんです。 (略) 吉田 あの時、逃げられないままそこにいた人たちもいるんだよね。そのことを思うと、本当に悔しい。でも、あの時わからなかったことが、10年かかって、ようやく榊原さんのこの本のおかげでわかる。だから改めて、3月11日から、双葉郡や福島県内、その周辺で何が起きていて、どういうことが話し合われて、住民はどう動いていたのか――それを立体的に、全部残さなきゃいけないなと思いました。榊原さんが、繰り返し本の中に書いてくださったように、最終的には、被害を受けたすべての人が「自分は被害を受けたし、ちゃんと償ってほしい」と言えるようにしなきゃいけないなと。 (略) 榊原 僕もまだやらなきゃいけないことが残ってるので、取材を続けていきます。『福島が沈黙した日』は、これまで書いてきたものの成果ではあるんだけど、あるひとつの側面を明らかにできたにしか過ぎないと思っています。ここで描けたのは2011年4月くらいまでの話なので、じゃあ、その後何があったのか。福島県の県民健康調査が始まったのもそのあとですし。まだ解明しないといけない疑問が多くあります。 全文は【対談】『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』榊原崇仁×『孤塁』吉田千亜~終わらない福島第一原発事故を追い続ける理由~

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<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(5)分からない不安 via 東京新聞

福島県いわき市から愛知県豊川市に移って二年、三年とたち、根本美佳さん(51)の生活は軌道に乗り始めた。ただ、小学校に通う一人娘の未結(みゆう)さんの体を案じる気持ちは消えなかった。 「いわきで被ばくさせたかもしれない」と思っていたからだ。特に心配だったのが放射性ヨウ素による甲状腺内部被ばく。チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんが多発した原因とされる。 いわきの自宅は福島第一原発の南五十キロ。避難区域から外れた。自主避難を選択したが「娘の体は大丈夫」と確信を持てなかった。  政府は二〇一一年三月二十三日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の推計結果を公表した。同日までに甲状腺内部被ばくが一〇〇ミリシーベルトに達した可能性のある地域は原発から南にも広がり、根本さんの自宅近くまで伸びた。  汚染の拡散前に避難すれば被ばくは防げるはずだった。しかし十一日の震災後、停電で原発の情報が入らなかった。給水場などに行くため未結さんと屋外に出る時間も多かった。避難の開始は十五日。原発で既に三度の爆発が起きていた。  避難を選択したことで、「娘といわきの友だちを引き離した」と負い目があったが、避難が遅れたという後悔も持ち続けてきた。  実際の被ばく線量はのどに測定器を当て、甲状腺に集まる放射性ヨウ素の量をつかむことで確認できる。しかし政府が調べたのはなぜか千八十人だけ。未結さんは対象から漏れた。 続きは<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(5)分からない不安

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傍聴レポート:「第二回住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」via ママレポ

傍聴レポート:「第二回住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」 「第二回住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」(環境省主催)が、去る12月25日に開催されました。その傍聴レポートをお届けします。 (第1回目のレポートはこちら) ◇福島や近隣県の健康管理のあり方や医療の施策について検討することが目的 (略) ◇ たった1080人だけの実測値で、「安全」と評価するつもり?    第1回と第2回の専門家会議では、主に【検討内容】の「(1)被ばく線量把握・評価に関すること」が話し合われました。 その内容をざっくり説明します。  委員たち(とりわけ長瀧座長)がもっとも重要視しているのは、「いわき市・川俣町・飯舘村」において2011年3月24日~30日に実施した15歳以上の小児1080人に対する甲状腺スクリーニング検査の実測値についてでした。  この日の議論では、これまで問題視されることが多かった「バックグラウンド(スクリーニング検査を行う場所の空間線量)の数値について」や、「測定方法は適切だったか」また、「実測値は、シミュレーションによって出されている初期被ばくの数値と比べてどう違うのか」、といった点について話し合われました。 (略) ◇ 世界的にも信憑性がないデータでの議論がつづく    たしかに、ヨウ素による初期被ばくを明らかにするうえで、実測値は重要な意味を持つのだと思います。  しかしながら、このサーべーメーターによるスクリーニング結果は、海外の専門家からも、「過小評価されているのではないか」と疑問の声が上がっていましたし、当時スクリーニングを行った原子力安全委員会さえも、「今回の調査は、スクリーニングレベルを超えるものがいるかどうかを調べることが目的で実施された簡易モニタリングであり、測定値から被ばく線量に換算したり、健康影響やリスク等を評価したりすることは適切でないと考える」とコメントを発表しています。 (「小児甲状腺被ばく調査結果に対する評価について」より抜粋)  他の専門家からも、「サーべーメーターでは、甲状腺の正確な実効線量は測れない」「バックグラウンドの空間線量が高すぎる」「わずか1080人のデータでは十分だ」などの問題点が上がっていましたし、いわき市など、初期にヨウ素による高濃度のプルームが通った地域の母親たちからは、「こんなわずかなスクリーニングだけで、初期被ばくを評価されるのは不安」との声も多数ありました。 にもかかわらず、この委員会では新たなデータや見解を示すこともなく、これまで何度も議論されてきたことの繰り返しに終始していることに、大きな失望と怒りを禁じ得ませんでした。 (略) ◇専門家会議なら、専門家らしい科学的な議論をしてほしい こんな議論で良いわけがありません。 「データがないから、わからない。プルームが通ったかもしれないけど、考える必要はない」 とは、専門家の発言なのでしょうか。  かりに地上に沈着していなくても、プルームが通った時間に外にいた子どもは、十分、被ばくしていることが考えられます。  この委員会は、信憑性の薄い初期被ばくのデータ等だけを持ち出し、福島県内はもちろん、県外まですべて 「被ばくは少なかった。だから特別な検診や医療補助などは必要ない」と結論づけるつもりなのでしょうか。  この日の会議では、私のとなりで「放射能から子どもを守ろう関東ネット」の代表、増田さんが傍聴していました。 増田さんは、こうした議論を聞きながら、「たったこのデータだけで、(千葉県の)私たちの初期被ばくもなかったことにされてしまうのか」と、怒りと不安をあらわにしておられました。 全文は傍聴レポート:「第二回住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」

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