Tag Archives: 水俣

<東松浦郡>福島の支援に取り組む 石川舞香(まいか)さん via 佐賀新聞

玄海町の玄海みらい学園9年(中学3年)、石川舞香(まいか)さん(15)は昨年8月、福島県であった被災地復興について話し合うリーダーズサミットに参加した。参加者は地元の中高生や、地元出身の大学生ばかり。福島に縁もゆかりもないのは、石川さんだけだった。 きっかけは一昨年12月。熊本県であった水俣病について学ぶ研修会に生徒会長として出席した時、福島県の教員からリーダーズサミットに誘われた。水俣も福島も、「そこに住んでいるだけで差別を受けた人たちがいることを知った」と話す。 福島のサミットで地元参加者から、「一緒に福島を盛り上げよう」などと書かれた寄せ書きを受け取った石川さん。「うれしかった。佐賀でも自分にできることをやりたい」。福島で風評被害に苦しんだ女性を学校に招くよう校長に頼み、講演会を開いた。「風評被害を止めるには、正しい知識を学ぶことが大事」と話す。 […]   全文

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社説/原発事故処理の費用−あいまいな責任が不信感を生んだvia日刊工業新聞

  […] 環境汚染に対する責任は汚染者が負うのが原則だ。しかし原子力損害賠償法では「異常に巨大な天災地変」の損害は「その限りではない」と定めている。政府が、この判断を明確にしないまま費用負担の議論を進めてきたことが国民各層に不信感を生じさせている。新電力大手の首脳は「誰かが負担しなければならない費用なら、まずは責任のあり方を整理してもらいたい」と話している。 くしくも今年は、日本の公害の原点である水俣病の公式確認から60年目だった。当時の政府が責任をあいまいにしたまま経済性を優先した結果、住民に取り返しのつかない深刻な健康被害をもたらし、結果として経済性まで失うことになった。 環境省の資料には「有害物質による環境汚染は、健康被害をはじめ、生活環境の破壊など重大な被害をもたらします。水俣病の事例から、経済性を優先し環境への配慮が欠けた活動が、健康被害をはじめとする種々の深刻な被害を与え、その後の被害の回復も容易でないことを教訓として得ました」とある。この教訓が生きていない。 産業界の立場では、環境汚染などのリスクを抱えた企業は万一の際、迅速な対応で被害を最小限に食い止める手だてが求められる。大きすぎるリスクに対しては、他と連携した対策を明確にしておく必要がある。   もっと読む。

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(向き合うということ 福島と水俣⑤)立場超え話せるように via 朝日新聞

 「地元学」という考え方がある。山や川、人々の暮らしなど、地域にもとからある資源に光をあてる「あるもの探し」を積み重ね、まちづくりに生かす。  提唱するのは熊本県水俣市の吉本哲郎(67)。水俣病の風評で農産物が売れず、差別や偏見にさらされる故郷を再生したい、との思いがある。 […] 地元学は、福島でも芽吹こうとしている。  昨年3月。吉本の自宅を、原発事故で避難区域になった飯舘村出身の酒井政秋(37)が訪ねた。  病除(よ)けのために、表札の脇に乾いたキノコがつり下げられた玄関。まわりの山や炭小屋の風景。その一つ一つに「飯舘みたいだ」と懐かしを覚えつつ、吉本の話でとりわけ印象に残ったのが、地元学のことだった。 拡大小さい頃から慣れ親しんだ山への入り口に立つ酒井政秋さん。山はキノコ採りや祭りをする暮らしの一部だった=飯舘村  酒井は震災後につながった村の若手たちと対話の会「かすかだりの会」を開いている。「かすかだり」とは地元の言葉で「生意気なことを言う」こと。放射能汚染と避難生活で一人ひとりが多くの問題を抱え込み、家族でさえも本音が言えない雰囲気を、どうにかしたい。  たとえば、避難指示が解除されたら村に帰るか、帰らないか。酒井は今のところ、帰らないと決めている。でも、立場に違いはあっても、ふるさとを大切に思う人々の気持ちに変わりはないはずだ。 […] 今年、酒井は自分たちなりの地元学をやろうと考えている。原発事故前は当たり前だと思っていた村での暮らしを、仮設住宅で暮らす人々から聞き取り、みんなで共有する。未来のために過去を振り返る。村に帰る人も帰らない人も、世代を超えてつないでいきたい。「地元の良さを探りながら、今のことも話せるようになっていければいい」 もっと読む。

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(終わりと始まり)地下の水銀、地上の放射能 「繁栄」に巨大なコスト 池澤夏樹 via 朝日新聞

(抜粋) 水俣湾は不知火海の 一部で、かつてチッソはここに「七十トンないし百五十トン、またはそれ以上ともいわれ」る水銀を放出した(なんといいかげんな数字か)。約二十年後に水銀 を含むヘドロは湾の底から回収され、「十四年の期間と四百八十五億円をかけて」護岸の内部に埋められた。今そこは五十八ヘクタールの「エコパーク水俣」に なってスポーツ施設などが造られている。 水俣市立水俣病資料館の展示はこの事業を誇らしげに伝える。「やりとげたのは仕事だったからだ。それは技術者の良心だ」などと、まるで「プロジェクトX」のよう。 技術者レベルではそうかもしれない。しかしこれが本当に最善の策だったのだろうか? 今も薄い土の被覆の下に百五十一万立方メートルの有機水銀を含有するヘドロがある。海との距離は百メートルと少し。 (略) そもそも毒性のある産業廃棄物を埋めるだけで処理済みとするのは廃棄物処理法ならびに去年採択された「水銀に関する水俣条約」の精神に反するのではないか。かつて香川県の豊島(てしま)に不法投棄された九十一万トンの産業廃棄物は隣の直島に運ばれて専用施設で正しく処理されている。 水俣で、チッソと熊本県と国は安上がりな方法を選んだ。最大六〇〇ppmの有機水銀を含むヘドロを埋めるだけで済ませることにした。 (略) この九月一日、福島県は原発事故で生じた放射能を帯びた汚染土の中間貯蔵施設の建設を受け入れると決めた。県内の汚染土を大熊町と双葉町に集めてしばらくの間そこに貯蔵する。「しばらくの間」とは「最長三十年」。 県内の他の自治体は早く運び出してほしいと思っているし、二つの町には汚染で住めない土地が広がっている。そこに二千二百万立方メートルの汚れた土が搬入される。十トンダンプ二千台で運び続けて三年かかるほどの量だという。受け入れる方だって辛(つら)いだろう。 水銀と違って放射能は化学的に始末できない。どうやっても消去は不可能、人体に有害な放射線をいつまでも出し続ける。 福島第一原子力発電所に隣接する港湾では、海底にたまった放射性の「浮泥」が外洋に流出するのを防ぐために上からセメントで覆う工事が始まるという。陸地と海底の違いはあるが、手法は水俣とよく似ている。 この工事を進める東電は「将来、海底の土を回収するかどうかは決まっていない」と言っているそうだ。 全文は(終わりと始まり)地下の水銀、地上の放射能 「繁栄」に巨大なコスト 池澤夏樹

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差別と偏見…変わらぬ構造 原発事故の福島と公害の水俣 共通する政治家の「金目」発言!via msn.産経ニュース

東京電力福島第1原発事故以降、熊本県水俣市と福島県の交流が広がっている。経済利益を優先する中で起きた水俣病と原発事故は、差別や偏見、地域の 分断などを生み、共通点も多い。水俣病からの教訓を学ぼうと、個人での訪問だけでなく視察ツアーなども行われており、今年3月、南相馬市や飯舘村、福島市 の人が参加した視察に同行した。 水俣病はチッソ水俣工場が排出したメチル水銀を原因とする公害病で、公式確認から58年がたつが、現在も症状に苦しむ人や認定をめぐっての裁判が続いている。 原発事故の類似点は直後から指摘されてきた。日本を代表する化学企業が引き起こした公害と国のエネルギー政策により進められてきた原発の事故。国の対策の 遅れで被害の拡大、混乱が生じた点や被害者への差別や風評被害、補償や認定などを巡る被害者同士の対立や分断などが起きている。 ツアーを企画したのは熊本大学の石原明子准教授だ。石原さんは事故後、福島に通い、水俣と福島をつなげる活動をしている。 「水俣の人々は水俣で起きた住民同士の分断や争いが二度と起きてほしくないと祈って行動してきた。福島で人間関係の分断や葛藤が生まれていると知り、水俣と福島を知っている人間としていてもたってもいられなくなり、動かなければと思った」。 (略) ツアーでは、胎児性水俣病患者の集いの場「ほっとはうす」や元水俣市役所職員で地元学提唱者の吉本哲郎さん、有機農業を営む「エコネットみなま た」、水俣の若手の集い「あばこんね」などを訪問した。さまざまな形で水俣病と闘っている人々と会うことができた。みな福島で現在起きていることに非常に 関心を持っており、福島へ足を運んでいる人も多かった。 石原さんは福島の人々が、水俣の経験を復興に生かしてほしいと思うと同時に、熊本も福島から学ぶ点もあると話す。 「福島と熊本は距離的には離れていますが、距離的に離れている熊本で福島のことを正しく理解することはとても重要なことだと考えています」 全文は 差別と偏見…変わらぬ構造 原発事故の福島と公害の水俣 共通する政治家の「金目」発言!

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手応え感じる福島原発告訴団運動 ― 99%が連帯し、無責任の時代に終止符をvia法学館憲法研究所

 福島原発事故以来、今日まで、福島は避難や除染、賠償などをあらゆる場で今も要求し続けている。しかし、事故からもう1年半も経つのに今なお多くの住民が高濃度汚染地域にとどまる。除染は汚染土の仮置き場が見つからないため頓挫しており、賠償も遅々として進まない。  政府、自治体、東京電力の誰もが自分を加害者だと思っていないことが背景にある。福島県二本松市のゴルフ場との間で争われた訴訟で、東京電力が放射性物質を「無主物」だと主張したことは、その最もわかりやすい例である。デモなどで街頭に出て要求を叫ぶ運動を1年間続けてきた私たちだが、「このままでは何も進展しない。加害者にこそきちんと責任を取らせるべきだ」ということを改めて強く感じた。 […]  告訴団は、その結成宣言で『政府が弱者を守らず切り捨てていくあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代償を支払わなければならないという前例を作り出すこと』が目的であると表明し、そのために『政府や企業の犯罪に苦しんでいるすべての人たちと連帯し、ともに闘っていきたい』と決意を述べている。3・11以降、多くの市民が政府や企業に疑いを抱いている。水俣病の写真展や講演会が福島で開かれ、東京大空襲で満足な賠償を得られなかった人たちまでが福島入りし、一緒にできることがないか模索する動きも始まっている。ある若者は私にこう言った――「最近、何と闘っていても最後に必ず経団連が出てくる」。  虐げられてきた市民が、自分たちを苦しめる共通の敵を発見し、それと闘うために手をつなぎ始めた。ウソと隠ぺいと金で続けられてきたこの国の支配体制が、今まで誰も経験したことのないレベルで大きく揺らぐ。告訴団結成宣言が高らかにうたい上げた決意は実現に向けて確実に進んでいる。私たちの役割は、虐げられてきた人たちをしっかりとひとつにつなぐこと。そして最終目標は、政府や企業が犯罪を実行しながら逃げ回り続け、責任を取ろうとしなかった「総無責任の時代」に終止符を打つことである。 全文は手応え感じる福島原発告訴団運動 ― 99%が連帯し、無責任の時代に終止符を

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【プロローグ】 すべては地下茎で繋がっている 霞が関で見た環境汚染をめぐる符合 via Diamond online

(抜粋) 福島県二本松市に住む関久雄氏らが、自宅などの庭から持ち寄った汚染土を「責任元の東電と国に返す」と、福島の自宅から東京まで歩いた抗議行動である。この日、14人が汚染土を持参した。 彼らはひとしきり街頭で呼びかけた後、同省のロビーで応対に出てきた資源エネルギー庁原子力政策課の若い担当者に、原子力政策の見直しや福島の子どもに避難の権利を認めることなどを求めた。汚染土を渡す際、関氏らは若い担当者にこう訴えた。 「これは除染した庭の土です。昨年6月に毎時7~9マイクロシーベルトありました。除染しましたが4マイクロシーベルトまでしか下がらなかった。福島の声に耳を傾けていただけるなら、原発再稼働に進むのではなく、脱原発に舵を切っていただきたい」 「年間20ミリシーベルト以下の被曝なら大丈夫といわれている福島の住民の不安を感じ取ってください」 (中略) ちょうど同じ頃、経産省からわずか数百メートル離れた環境省では、九州から上京した水俣病患者らが座り込みをしていた。水俣病被害者救済法に基づく救済の申請が7月末に打ち切られることへの抗議行動である。 (中略) 水俣病患者の抗議行動から数時間後、厚生労働省の記者クラブではアスベスト被害者や遺族による記者会見が行なわれた。今年5月に厚労省が出した通達の撤回を求めたものだ。 なぜなら、その通達は、アスベスト製品を製造・販売してきた企業で構成され、アスベストの使用を推進してきたJATI協会(旧日本石綿協会)が創設した「アスベスト診断士」に、建物などのアスベスト調査をさせることを位置づけていたからだ。 同協会は2005年6月に兵庫県尼崎市の旧クボタ工場周辺の住民に多数の中皮腫被害が発生していたことが明らかになるまでずっと「管理使用すれば安全」と主張してきた。 全文は【プロローグ】 すべては地下茎で繋がっている 霞が関で見た環境汚染をめぐる符合

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水俣、三池、そして福島… 「差別がある所に公害や労災が起きる」【岩手・花巻発】via J-Cast News

(抜粋) 野球取材が終わったある日、炭鉱長屋の一角でCO中毒患者の診察に専念する先生にお目にかかった。「企業犯罪が外に向けられるのが公害、うち に向けられるのが労働災害。どちらも表裏一体の関係にあるのです」とその時、先生は言った。水俣病とCO中毒との関係を医学のレベル以前に社会の在りよう から捉え直すという視点に度肝(どぎも)をつかれたのを覚えている。 ある日、先生の診察にお伴したことがあった。狭い長屋のタタミの上には焼け焦げの跡が残り、壁にはへこんだ箇所があった。「半身不随や麻痺、 難聴、視神経障害、健忘症、不眠、記銘障害…。CO中毒の後遺症は多彩だが、医学書だけでは症状の細部は分からない。焼け焦げや壁の傷跡を見れば、この患 者の症状は一目瞭然です」。腰の手帳も実は物忘れに備えた「メモ帳」だったこともその時、先生に教えていただいた。 水俣病研究からスタートした先生は、水銀は胎盤を通さないという従来の定説を覆して「胎児性水俣病」の存在を立証した。その後、化学工場が林 立する大牟田市の有明海で水俣病に酷似した患者が出たことがあった。「水俣病の疑いが濃厚である」という先生の主張に対し、当時の精神医学会は「有明海に 流出しているのは無機水銀で、水俣病を引き起こした有機水銀とは違う」としてこれを却下した。 1960年代後半、カナダ・オンタリオ州の先住民居留区で水俣病症状を訴える人が続出した。先生が現地検診した結果、「上流の化成ソーダ工場 から流れ出た無機水銀が河川の中で有機化したことによる発症だ」と断定され、「カナダ水俣病」と命名された。「公害や労災が起きて差別が生まれるのではな い。差別がある所に公害や労災が起きるのだ」と先生は口癖のように言っていた。水俣、三池、カナダ先住民…。先生の執念がそのことを次々に暴いていった。 その矛先は大震災後、当然のように福島第1原発の事故に向けられた。 「原発が本当に安全なのなら、わざわざ過疎地に造らず、送電コストがかからない都会の真ん中に造ればいい。しかし水俣病は都会では起きず、原 発は大都市にはない。公害は社会的、政治的に弱い人たちに集中する」「放射性物質を海に流せば拡散して薄まるから大丈夫という学者がいる。とんでもない。 海で薄まった毒が食物連鎖で濃縮され水俣病が発生した。有機水銀と放射性物質の違いがあるとはいえ、都合が良すぎる。水俣病から何を学んだのか」 (2012年2月3日 付西日本新聞) 続きは水俣、三池、そして福島… 「差別がある所に公害や労災が起きる」【岩手・花巻発】

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特集ワイド:かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く via 毎日jp

◇共通する「責任逃れ」「曖昧な情報流し」 繰り返してほしくない「被害者の対立」  「福島第1原発事故は水俣病と似ている」と語るのは、写真家ユージン・スミスさん(78年死去)と共に水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさん(61)だ。今回の原発事故と「日本の公害の原点」との共通点とは何なのか。京都を拠点に約30年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。【小国綾子】  「不公平だと思うんです」。原発事故と水俣病との共通点について、アイリーンさんが最初に口にしたのは、国の無策ではなく「不公平」の3文字だった。  「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです」  都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。  「『被害×人口』で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは過疎地域かもしれない。でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。個人にとっては、被害を受けた事実だけで100%なのに……」 続きは 特集ワイド:かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く

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3・11水俣から 原田正純/朝日新聞 via 薔薇、または陽だまりの猫

教訓生きなかった福島原発の事故 専門家とは誰か ■インタビュー 3・11 水俣から 半世紀以上前に熊本県で起きた水俣病から、私たちはいったい何を学んできたのだろうか。福島第一原子力発電所の事故から日を追うごとに、水俣で問われ続けたこの国の「病巣」が次々と浮かび上がる。専門家とは、安全とは、賠償とは。現場主義を貫き、水俣病の患者に寄り添って問題提起を続ける医師、原田正純氏に聞いた。 ――福島第一原子力発電所の深刻な事故を、どう受け止めましたか。 「懲りてないねえ」 ――懲りてない、とは。 「水俣病では、政府も産業界も学者も、安全性の考え方を誤ったんです。その後のいろいろな薬害でも、カネミ油症でも、危険が起きる前に危険を予測し、対策を立てられるはずだった。50年たっても教訓は生かされていない」 続きは 3・11水俣から 原田正純/朝日新聞

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