Tag Archives: 楢葉町

原発廃炉に必要な製品の製造会社 東京電力が楢葉町に設立 via NHK News Web

東京電力は、原子力発電所の廃炉に必要となる製品を製造する子会社を楢葉町に新たに設立し、福島第一原発の廃炉を進めるとともに、浜通りの復興に貢献していきたいとしています。 「復興と廃炉の両立」を掲げる東京電力は、大阪に本社がある機械メーカー「日立造船」と共同で、先月20日付けで、楢葉町に廃炉に必要となる製品の製造を行う新しい子会社を設立しました。 子会社は「東双みらい製造」で、従業員数はおよそ10人。 出資比率は、東京電力が67%、日立造船が33%で、資本金は15億円です。 東京電力によりますと、楢葉町と富岡町にまたがる福島第二原子力発電所のおよそ1ヘクタールの敷地に2025年度に工場を完成させ、その後、製品の製造を開始、2027年度から出荷を始める計画です。 まずは、福島第二原発などで使用する使用済み燃料を保管する容器を製造し、将来的には福島第一原発の燃料デブリを保管する容器の製造にも着手したい考えです。 […] 原文

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「支援もう切られっぺ」避難者の不安 汚染土残る故郷に造成進むが【「復興」見えたか~原発事故の被災地から(下)】via西日本新聞

5日、福島県いわき市の応急仮設住宅。同県大熊町から避難した男性(60)は、ある「うわさ」が気になっていた。「オリンピックが終わったら、俺たちも支援を切られっぺって」 「戻れるとしても40年後、俺は100歳」 政府は来年の東京五輪を「復興を世界にアピールする好機」と位置付け、福島県は2020年度までに「避難者ゼロ」を実現する目標を掲げる。呼応するように、避難指示が出ていない地域からの「自主避難者」に向けた家賃補助や、既に解除された地域の住民を対象にした仮設住宅の無償提供が終了する。 「ここも閉鎖されっかもしれない」。男性は不安に駆られ、いわき市内の公営住宅に応募した。大熊町の自宅は福島第1原発から3キロ。行政の担当者は「戻れるとしても40年後でしょう」と告げた。「帰りたいけど、そのとき俺は100歳。意味ねえよ」と笑う。 造成急ピッチ…住民「戻らない」が過半数 福島第1原発が立地する大熊町は高い放射線量が長引き、全町避難が続いた。ようやく、南部の大川原地区などが近く解除される。 広大な造成地でうなりを上げる無数の重機。鉄筋を肩に動き回る作業員。大川原地区に入ると、新しい役場と公営住宅50戸の建設が急ピッチで進んでいた。公営住宅には60世帯の応募があり、既に抽選を終えたという。町復興事業課の志賀秀陽課長(59)は「復興の第一歩」と喜ぶ。 ただ、町が1月に取ったアンケートで「戻らないと決めている」と答えた住民は55%に上り、「戻りたい」は14%にとどまった。原発事故の日の朝、町には744人の児童がいたが、今回、公営住宅に入居する児童はわずか1人だ。 「好きで古里を離れたわけじゃない」 […] 6日、埼玉県春日部市であった同県への避難者の交流会。「建物だけを新しくして『復興した』と言われても、帰りたいのは原発事故前の故郷」。福島県楢葉町の村上秀雄さん(77)が発言すると、十数人の参加者が一様にうなずいた。 大熊町の渡部まゆみさん(62)もその一人だ。昨年、除染で出た土を保管する中間貯蔵施設の用地を国に求められ「大熊のために役立つなら」と同町の自宅を手放した。30年近く勤めた町内のラーメン店も1月、中間貯蔵を広報する発信拠点に様変わりした。性急な「復興」には違和感もある。「避難者が古里を好きで離れたわけじゃないことは、忘れないでほしい」 […] 全文

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楢葉で「きぼうの桜サミット」 via 福島民友

音楽や伝統芸能を通じた文化交流で東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を願う「きぼうの桜サミット2018『楢葉の夏』」は十八日、楢葉町の楢葉コミュニティーセンターで開かれた。 ワンアースの主催で、約三百人が参加した。宇宙を旅した桜の子孫「宇宙桜」を震災の津波被災地に植える「きぼうの桜事業」に参加する全国各地の団体が一堂に会し、「きぼうの桜文化祭」などのプログラムを繰り広げた。 楢葉町のならは天神太鼓うしお会のメンバーは勇壮な和太鼓演奏を披露した。宮城県気仙沼市の大島中の生徒が島中ソーラン演舞を踊った。 […]   全文

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福島第二原発の廃炉、ようやく東電が表明。地元から最終処分地を危惧する声 via Blogos

東京電力は6月14日、福島県に対して、東日本大震災後に運転を停止している福島第二原発(楢葉町・富岡町)の原子炉4基すべてを廃炉にする方針を表明した。震災後、福島県と同県議会、住民らが求めた「県内原発の全基廃炉」が、事故から7年を過ぎてようやく見えてきた。 立地の楢葉(ならは)町で45年続く町民の脱原発運動 45年以上も前の1972年に原発の大事故の可能性を指摘し、事故後も廃炉を訴えてきた福島第二原発立地町の楢葉町民による「公害から楢葉町を守る町民の会(現:原発問題福島県民連絡会)」を発足させた早川篤雄さん(宝鏡寺住職)は、震災後は「福島原発避難者損害賠償請求訴訟」原告団長も務める。早川さんらは福島第二原発の運転差し止めを求める裁判を起こしたが、最高裁で敗訴。原発が建設・稼働されても、一貫して危険性や情報隠しなどの問題を指摘し続けてきた。 報道で廃炉方針を知り、「廃炉は当然。福島第一原発と同時期に廃炉にすべきなのに、やっと(東電が第二原発廃炉を)言ったか」と早川さんは思ったという。同時に、「長らく私たちが『大事故は必ず起こる』と指摘し予言していたのに、東電に無視され続けた結果、11年の原発事故が起こった。事故後も被災地の深刻な状況、被災者の過酷な状況を目の当たりにしながら、7年間も県民の真剣な訴えを無視し続けてきた」と、憤りをにじませる。 早川さんが指摘するのは、東電や政府が企業の利益追求・利益優先を追求した結果、住民の生命や健康、暮らしがないがしろにされた点だ。「もうけられる限りもうけて、『地域住民の暮らしや命は関係ない』というのが東電の方針。そもそも、福島に原発立地を決めた理由は人口が少ない地域であったことが、『双葉原子力地区の開発ビジョン』(1968年財団法人国土計画協会)や『東京電力30年史』などでわかる。つまり最初から事故は想定の範囲だった。それを安全神話と札束でごまかしてきた」と話す。「今回は東電も、県民世論を無視できなかった。県民世論がそこまで追い込んだともいえる」早川さんが今後、最も懸念するのは、使用済み核燃料の保管・処理方法を含めた具体的な廃炉工程だ。 住民にはまだ何も示されていない。「私たちは廃炉に向け、労働者の身分保障をして安全な収束作業を進めることや、より安全性の高いキャスクを使った使用済み核燃料の乾式保管を求めてきた。福島第一原発はすでに乾式キャスクや保管庫ができているのに、福島第二にはその計画もなく、安全な帰還促進にはつながらない」と指摘する。 そして、今回の廃炉方針で福島県内は原発ゼロになるが、「原発ゼロ後」の福島から、次の事故を防ぐ努力を続けるのが現在世代の義務だと訴える。「次の事故を防げるかどうかは、福島県民が被害の甚大さをどれだけ伝えられるかにかかっている。誰にもこの苦しみを味わってほしくないというのが被害者共通の最後の望み。原発事故は福島で最後にしないといけない」 廃炉作業が進む福島第一原発では、溶け落ちた燃料(デブリ)の処理、トリチウム汚染水の海洋放流などの問題が山積する。「今、避難地域の住民の大半は戻らず、廃炉が終わる30~40年後には現在の高齢者の多くが亡くなっているだろう。人が住まないことをよいことに、地域が放射能汚染廃棄物の最終処分地にされる事態も予想される。放射能管理は数万年単位の事業。すでに10万年後の人類にこの事故をどう伝えるかという責任が今の私たちにはあることも忘れてはいけない」と、早川さんは廃炉で終わらない、未来に残された課題を指摘した。(文と写真 藍原寛子)     全文

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旧避難区域で県外の学生ら田植え体験 福島・楢葉町 via 産経新聞

 東京電力福島第1原発事故でかつて避難区域だった福島県楢葉町で13日、東京など県外から招待された学生8人が田植えを手伝った。今後、除草や稲刈りにも参加し、10月に東京・六本木ヒルズで開かれる福島のPRイベントで、コメの安全性やおいしさを売り込む。 復興が進みつつある町の魅力を知ってもらおうと、住民の自治組織が企画。交流がある学生を通じて参加を呼び掛けた。 続き、写真は 旧避難区域で県外の学生ら田植え体験 福島・楢葉町

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福島・避難指示解除 帰還1割未満 追い続ける復興via毎日新聞

[…] 国は、被災した沿岸部を廃炉研究やロボット開発などの集積で復興させる「イノベーション・コースト構想」を推進。自治体側も関連施設の誘致に躍起で、雇用創出による人口増を期待する。  富岡町も、構想の拠点となる廃炉研究施設の誘致を要望。放射性物質を含んだ稲わらや焼却灰を町内で最終処分する国の計画を、2015年12月に受け入れるのと前後して建設が決まった。  一方、富岡町に隣接する楢葉町。「ゴミ出しを指定日以外にしたり、分別しなかったりして、イノシシやカラスに荒らされる」と男性(79)は顔をしかめた。不満の先は、自宅近くにある宿舎に住む除染作業員らだ。  同町は解除から1年半が過ぎ、廃炉や除染の作業員の流入が進む。帰還した町民は人口の11%にあたる818人(3月3日現在)にとどまるのに対し、作業員は約1500人。25カ所の民宿やプレハブ宿舎に滞在する。昨年8月には、除染作業員2人が自転車盗の容疑などで逮捕され、町は「帰還意欲が低下する」と環境省に抗議した。  町は昨年、住民の不安解消に向け、作業員宿舎の建築主に計画書の提出を求め、何が建つのかを記した標識を予定地に立てるよう義務づける条例を施行。町民の求めに応じて、説明会を開くことも求めた。同様の条例は同町の南隣にある広野町でも施行されている。  住民の帰還が富岡町より一足早く始まった楢葉町。担当者は「作業員も復興のためになくてはならない存在」と述べ、共生の方法を模索している。 ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20170401/k00/00m/040/137000c#csidx1c318e05f5bd1dcaf3a8e63772b84b2 Copyright 毎日新聞   全文を読む。

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<避難解除>帰還求める楢葉町 困惑の職員via河北新報

東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除を迎えた自治体の職員は、職務と生活のはざまで悩む。今春を「帰町目標」に掲げる福島県楢葉町では、職員が町当局に帰還を強く求められている。町は歳出抑制を理由に通勤手当の削減も検討する。率先垂範を迫られた職員にも長期避難で生じた家庭の事情があり、困惑が広がっている。 楢葉町は2015年9月に避難指示が解除された。今年4月には小中学校が町内で再開し、帰町者が増えるとみられるが、今月3日現在では818人、帰還率11.1%にとどまる。 町によると、本庁舎の職員約100人のうち町に住むのは35人ほど。子どもの学校や親の介護・通院といった家庭の事情、自宅の修繕遅れなどで、福島県いわき市に避難を続ける職員が多い。 松本幸英町長は今年の年頭訓示で「職員は町民の先達として早期に避難生活から脱却し、町内での自立した生活を示す立場にある。私も先頭に立ち、時には心を鬼にしながら進める」と述べるなど、職員の帰町に強いこだわりをみせる。 大和田賢司副町長は「どうしても無理な事情があれば仕方ないが、町が帰町目標を掲げた以上、職員が戻って町民を迎えるのが本来の姿。職員が住むことで町民の不安解消にもつながる」と説明。単身ではなく、家族で戻ることを促す。 […]  原発事故後、業務量や負担は増大している。職員からは「避難していても責任を持って仕事をしている」「いずれ町に戻るが、今は家庭的に難しい」「帰町しなければ職員にふさわしくないと思われたら、つらい」などの声も漏れる。 自治労県本部は「自治体当局は職員の人事権を握る。帰還の働き掛けが強制や圧力と感じられるようならば、職員の意欲をそぎ、住民サービスにも影響しかねない」と指摘する。   もっと読む。

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福島、サッカーで活気再び Jヴィレッジ来夏再開 via 日本経済新聞

東京電力福島第1原子力発電所事故で昨年まで事故収束の前線拠点として使われていたサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)が復興へ動き出した。日本代表の合宿地としても知られる施設は来年夏の一部再開を目指し復旧工事の真っ最中だ。住民の帰還が進まない中、かつての「サッカーの聖地」を核にした地域再生に期待がかかる。 […] 1997年開業のJヴィレッジは日本代表や各世代の代表チームが合宿。多くのサッカー大会も開かれ、年50万人の利用者でにぎわったが、11年3月11日に一変した。福島第1原発から20キロ離れた施設はもともと東電が整備して県に譲渡した経緯もあり、原発事故対応の拠点として車や資材で埋め尽くされた。 広野、楢葉町の避難指示は15年9月までに全て解除。Jヴィレッジ内にあった東電の福島本社も富岡町に移り、昨年12月に復旧工事が始まった。 ただ、震災前のように子供たちが集まるのか、小野さんは「不安はある」と語る。楢葉町で帰還した住民は1割程度。放射線量は基準値を大きく下回っているが「再開して大丈夫なのか」との問い合わせも多いからだ。 日本サッカー協会は20年の東京五輪で日本代表の合宿地にJヴィレッジを使うことを決定。小野さんは「代表チームが戻れば理解を得やすくなる。施設に人を呼び込み、地域に復興の好循環を促したい」と前を向く。   もっと読む。

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避難解除も遠い帰還 インフラ未整備、放射線不安via 産経新聞

 東京電力福島第1原発事故で止まっていた時計の針が、福島県の3市村でようやく動き出す。ただ避難指示の解除は、必ずしも住民の帰還につながらない。病院や商店などの整備が進まず不便な生活を強いられ、除染廃棄物の処理が重くのしかかっているからだ。復興や自立に向けて立ちはだかる風評の壁も厚い。(天野健作、野田佑介)  福島県では今も9市町村で避難指示が続き、9万を超える人が避難生活を送る。放射線量に応じて3種類ある避難区域について、政府は「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」を来年3月までに解除する意向だが、線量が高い「帰還困難区域」を今後どうするか方針すら出ていない。  昨年9月に初めて全町で避難指示が解除された楢葉町では今月3日現在、人口約7400人のうち、戻ってきた住民はわずか7%。「本格的帰還のモデルに」との関係者の期待はくじかれつつある。すでに避難先で新しい生活を築き上げた世帯も少なくないが、帰還を妨げる理由は放射線への不安が大きいことだ。  除染は徹底的にされてきた。しかし、廃棄物の詰まった黒い袋が日々、山のように積み重ねられていく。農地や民家の庭先など県内約13万カ所に仮置きされている光景は異常である。 […] もっと読む。

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福島・楢葉町 6年ぶりの田植え 避難指示解除で via 毎日新聞

東京電力福島第1原発事故の避難指示が昨年9月に解除された福島県楢葉町で6年ぶりに本格的なコメの栽培が再開され、佐藤充男(みつお)さん(71)ら上繁岡地区の農家6戸が20日、復興工事車両が行き交う国道6号近くの水田約2ヘクタールで田植えをした。「仲間がいたからここまで来られた」と、喜びをかみしめた。 […] しかし、喜び以上に悩みも多いという。「以前は無農薬栽培していた。今は努力しても、楢葉のコメだと言ったら、喜んで買う人はいない」と、収穫の半分は飼料用にする。住民不在の間に出没するようになったイノシシ対策も頭が痛い。  4月28日現在、楢葉町に戻った住民は6.8%。町によると、原発事故前のコメの栽培面積410ヘクタールのうち、再開したのは20ヘクタール。佐藤さん自身、傷んだ自宅を建て直し今月帰ったばかりで、町外の仮設住宅から通う仲間もいる。「農業で暮らせることを示せば『俺もやっぺ』という人も出てくる」と、農村の再生へ踏ん張り続ける覚悟だ。【乾達】 全文を読む。

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