Tag Archives: 森口貢

(うねり 核兵器禁止条約から:1)「核は強さ」米国の壁、越える声を via 朝日新聞

 原爆投下後に疎開先から長崎の自宅に戻り、被爆した長崎市の森口貢(みつぎ)さん(81)。当時8歳。家も木もなくなった爆心地近くで遺体を焼く白い煙が立ち上るのを目の当たりにし、そのにおいが今も忘れられないという。 3月上旬、原爆のプルトニウムが作られたハンフォード核施設の地元、米ワシントン州リッチランドなどを訪れ、被爆証言を交えて講演し、施設による放射線被害を訴える住民らとも交流した。 キノコ雲をシンボルマークにする地元高校は春休み中だった。校長に被爆証言集の英訳版を手渡した。再び訪ね、生徒らと語り合いたいと願う。「『核は良いもの』という概念を崩していくのは途方もないこと。でも、米国にいる人たちと手を組んで頑張っていきたい」 森口さんの訪問の受け止め方は様々だ。支援したホイットマン大教授のシャンパ・ビスワスさんは「講演に多くの聴衆が涙を流した。核軍縮の小さな一歩だったが、とても重要な一歩だった」と振り返る。 一方、元リッチランド市長のジョン・フォックスさん(90)は森口さんの話に理解を示しつつも、「原爆が戦争を終わらせてくれたおかげで私は徴兵を逃れ、命が救われたと思う。米国が日本本土に侵攻していれば、日米双方の多くの人が殺されたはずだ」と語った。 訪問を取り上げた地元メディアの記事には、好意的な意見の一方で、批判も寄せられたという。 核に対する意識をどう変えていくか。訪問を支援した米国のNPOの宮本ゆきさん(50)は「壁の厚さ」を感じながら模索を続けている。 広島市出身の被爆2世。渡米し、核兵器や平和に対する認識に日米間の隔たりを感じた。米シカゴのデュポール大で、核の歴史などを教える准教授も務める。[…]     全文

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暴言吐かれ、辞めようかと…被爆者語り部「伝え続ける」via 朝日新聞

 15日、長崎市の被爆者で語り部の森口貢(みつぎ)さん(77)は、市内の爆心地公園で「不戦の集い」に参加していた。5月、修学旅行中の男子中学生5人から「死に損ない」などと暴言を吐かれ、一時は語り部を辞めようかと考えた。けれど今、「伝える努力を続けよう」と気持ちを新たにする。 暴言は、被爆遺構を案内中に態度の悪い生徒を注意した後に出た。以前も携帯電話をいじる、寝転がるなどの生徒はいたが、経験のない強烈な言葉だった。 (略) 暴言問題の後、平和運動に関わる20代の男性に言われた。「子どものころ、被爆体験を聞くと、先生が言う通りの感想を書かねばならないと感じた。核兵器や戦争が絶対ダメというのは正義だが、押しつけられる反発もある」。ハッとした。後に届く感想文は立派なものばかりだった。自分の思いだけを押しつけていたのかも……。 今月8日、森口さんは被爆遺構で沖縄の中学2年生8人に語りかけた。「ここでみなさんと同じ13、14歳の子どもがたくさん死にました。この先の人生がなくなったらどう思う?」 「イヤだ」。小さな声が返ってきた。「何でもいいから質問して。意見でもいいですよ」。子どもの素直な気持ちや意見をそのまま引き出したい。森口さんが今、心がけていることだ。 「暴言は、若い人に何をどんなふうに伝えればいいかを考える、よいきっかけになった」。同時にこうも言った。「あの生徒たちとゆっくり話ができればなあ。生意気な時期もある年齢。あのことが傷にならなければいいが」(編集委員・大久保真紀) 全文は暴言吐かれ、辞めようかと…被爆者語り部「伝え続ける」 関連記事:修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪

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