Tag Archives: 才谷遼

無責任な体質に「待った」 福島第1原発事故テーマの異色映画 via 神戸新聞

東日本大震災による東京電力福島第1原発事故から8年。いまだ放射線の不安が消えることはなく、汚染水処理問題も解決の見通しは立たない。さらに強制起訴された東電旧経営陣に無罪判決が出た。誰も責任を取らない、ともするとなかったことになりそうな事態に渾身(こんしん)の力で「待った」をかけようというのが映画「ニッポニアニッポン 福島狂詩曲」。ミュージカル仕立て、アニメーションも交えた異色の風合いだが、それが逆に福島の悲しみを強調する。原案・脚本も手がけた才谷遼監督に話を聞いた。(鈴木久仁子) […] 仮設の食堂、積み上がる汚染土の黒いビニール袋、遠方には福島第1原発…。深刻な現状は、陽気な歌と、明るいアニメで描かれ、それがより問題の深刻さを際立たせる。長くアニメの仕事に携わってきた才谷監督は、一線で活躍する特撮・アニメ作家たちを多数起用し、独自の映像を生み出した。  「スリーマイル島原発事故の後、チェルノブイリがあって、まさか日本で事故が起こるなんて。原発を造ることを決めた人間が、誰も責任を取らないのもショックだ」と才谷監督。「表現者として自分の手段で問題提起したかった。『あなたはどう思いますか』と」  「この国に2度だまされた」とつぶやく牛飼い、「何でも金ですむと思ったら大間違い!」とどなる住民…。楠が出会う人々の言葉は辛く鋭い。「たまった たまった汚染水~放出だ!放出だ!薄めてしまえばわからない~」と、原子力研究所の御用学者たちが狂ったように歌い踊るクライマックスは、手をこまねいている政府を、われわれを、皮肉を込めて痛烈に批判する。  才谷監督は「この国は底が抜けたのではないのか。考えることをやめてしまった大人の責任は重い」と憂い、「過ちを繰り返さないためには、子どもたちにきちんと考える力をつける教育が必要だ」と力を込めた。  大阪・シネ・ヌーヴォで上映中。26日から元町映画館、京都・出町座で公開予定。 全文

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さりげなく原発事故批判 映画「セシウムと少女」の見どころ via 日刊ゲンダイ

福島原発、戦前の東京、北原白秋……現在と過去を往復しつつ放射能の不安を描いた作品だ。 主人公は東京・阿佐ケ谷に住む高校生のミミ(白波瀬海来=しらはせかいら)。「最近、舌が痛いの」と放射能の影響を訴え、タイムスリップして若き祖母に会い、白秋との出会いに胸をときめかす。 「古き東京の美しさと放射能を心配する現代人の対比を才谷監督は少女の目を通じて描いています。ストレートでなく、照れながら演出している風情は好感が持てます」(映画評論家の北川れい子氏) 見どころは被ばくした第五福竜丸の展示館を訪ねるシーン。原発社会を招いた政党や新聞社を実名で批判するが、その名前は劇場で。 続きはさりげなく原発事故批判 映画「セシウムと少女」の見どころ 映画のオフィシャルサイトはこちら

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阿佐ケ谷から脱原発の願い 映画館経営者、初のメガホン via 東京新聞

 東京・阿佐ケ谷にあこがれて上京し、阿佐ケ谷で映画館を営む才谷遼(さいたにりょう)さん(62)が、阿佐ケ谷を舞台に脱原発のメッセージを込めた映画 「セシウムと少女」の撮影を進めている。初の監督作品は十七歳の少女が主人公の明るい筋書き。「楽しく見て、終わった後に原発はなくていいんだなと実感し てもらえたら」と願いを語る。 (杉戸祐子)  才谷さんは大分市出身。幼いころから漫画家を志したが、高校生の時、映画監督の岡本喜八さんが手掛けた「肉弾」を見て「これからは映画の時代だ」 と感じた。上京して日本大学芸術学部映画学科に進み、岡本さんに師事。卒業後は漫画アニメ専門誌などを手掛ける出版社などを経営しながら「いつか映画を作 りたいと願い続けてきた」。  十八歳で上京した際、最初に足を向けたのが阿佐ケ谷だった。手塚治虫さんと並んであこがれた漫画家の永島慎二さんのアトリエがあったためだ。三十 一歳から阿佐ケ谷に住み、一九九八年にJR阿佐ケ谷駅北口で映画館「ラピュタ阿佐ケ谷」をオープン。「自分が住んでいく街に灯(あか)りをともすつもりで 営んできた」  「三十年をかけて街にも人間関係ができた。今なら映画を作れる」と昨年十月ごろ、構想を練り始め、半年で台本を仕上げた。阿佐ケ谷で暮らす十七歳 の主人公ミミちゃんが一九四〇年代にタイムスリップし、阿佐ケ谷で晩年を過ごした詩人の北原白秋に巡り合うなどしながら、二〇一一年三月の東日本大震災に 遭遇するストーリーだ。ミミちゃん役は同世代の新人俳優、白波瀬海来(しらはせかいら)さんが務める。  「岡本さんは戦争体験に基づいた作品を残した。僕らは核と向かい合わなくては」。一九八六年の現ウクライナ・チェルノブイリ原発事故以降、反原発 運動に参加してきた。「福島第一原発であれだけのことが起きたのに、何事もなかったかのように再稼働しようとしている。原発はおかしいんだと声を上げない と」 続きは阿佐ケ谷から脱原発の願い 映画館経営者、初のメガホン

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