Tag Archives: 平和宣言

長崎平和宣言で安保法案に言及へ via 産経ニュース

長崎市の田上富久市長は31日、被爆70年となる8月9日の「長崎原爆の日」の平和祈念式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表し、安全保障関連法案の慎重な審議を政府や国会に求める内容を盛り込むと明らかにした。 […] 広島市は安保法案に直接言及しないとしており、対照的となった。 全文を読む。 ◇長崎新聞  田上市長は会見で「平和宣言では何らかの形で平和の理念を盛り込んできた。その理念が『揺らいでいるのでは』と多くの人が思っているのは事実」と理由を説明。一方で「さまざまな意見がある」として法案の是非には踏み込まず、国民への丁寧な説明などを求める。

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戦争放棄が被爆国の「原点」 長崎市が平和宣言文案 via 読売新聞

長崎原爆忌(8月9日)の平和祈念式典で長崎市長が読み上げる平和宣言 文の3回目の起草委員会(委員長・田上富久長崎市長、15人)が5日、長崎市の長崎原爆資料館で行われ、市側から、過去2回の議論を基にした文案が示され た。委員会は今回で終了し、これまでの議論を踏まえて最終的な宣言文を作成する。  文案では、憲法に定められた戦争放棄の理念について、被爆 国、被爆地長崎の「原点」と指摘。被爆者運動を先導してきた山口仙二さん(昨年82歳で死去)が国連演説で使用した言葉「ノーモア・ウォー」を引用し、政 府に対し、安全保障や平和国家のあり方が根底から変わるという懸念と不安の声に真摯(しんし)に耳を傾けるよう求めている。 続きは戦争放棄が被爆国の「原点」 長崎市が平和宣言文案

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(元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』より抜粋記事)川内村と平和宣言 via 日刊サイゾー

8月4日から5日にかけて福島県の川内村へ行ってきた。川内村は約4割が原発20キロ圏内で、避難指示解除準備区域、居住制限地域など複雑に分かれている。 村の復興対策課の井出寿一課長に、3.11当時の「何度も死を覚悟した」緊迫した状況の話から、帰村が認められた地域でも、まだ半数以上の人たち が戻ってこない現状まで、ユーモアも交えて話していただいた。遠藤雄幸村長とも、短時間ではあったが話をすることができた。除染作業は進んではいるが、ま だ農業地域は0.2%程度で、村民が生活していくための企業誘致もいくつかは進んでいるが、雇用数でいったらまだわずかである。 帰りに富岡町から楢葉町を川内村の知人に案内してもらって回ったが、地震、津波、原発被害の三重苦に見舞われた町は、被害当時の爪痕を残したまま静まりかえっていた。 (略) 6日、広島市で平和記念式典が開かれたが、松井一實市長の平和宣言がなかなかよかった。核兵器を「非人道兵器の極みであり、『絶対悪』」とし廃絶を訴え、政府が進めているインドとの原子力協定交渉に懸念を表明したのである。 そのときの、安倍晋三首相の顔をしかめるような表情が見物であった。原爆で多くの住民が殺されたにもかかわらず、核の平和利用という偽りの美名に よって多くの原発を作り続け、福島第一原発事故という最悪の結果を招いた。それなのに、また原発再稼働に踏み切ろうとしている安倍自民党政権への批判の声 を、もっと強めていかなければいけない。「世界第3位の経済大国日本は、自らが作り上げた原発のために亡びた」と、世界の国の歴史教科書に書かれないため にも。 抜粋は(元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』より抜粋記事)川内村と平和宣言  

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広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る 本紙インタビュー via MSN産経ニュース

広島市の松井一実市長は「原爆の日」の8月6日に営まれる同市の平和記念式典で読み上げる「平和宣言」に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にし たうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込むことが26日、分かった。産経新聞のインタビューに応じた松井市長は「核兵器反対がなかなかうまくいかな いから、(原発の)放射能被害で参りましょうかという、駆け引きには使わないでほしい」と述べ、原爆と原発を同一視して論じることに不快感を示した。 松井市長はインタビューで、福島第1原発事故の被害者について「放射能被害に対しての心配は分かる」と理解を示したうえで、原爆と原発の違いに言及。「人 殺しのための絶対悪の核兵器と、人間のエネルギー造成のために使う技術は、きちっとした区分けが重要。一緒にしないでくださいということ」と説明した。 また、原発について「問題があってもずっとやれということではない。国民の経済生活やエネルギーの確保、料金問題などを考え、再生可能エネルギーとのバランスをどうしていくか。政府がそこをしっかり国民に説明して解決すべき問題だ」と述べた。 松井市長は平成23年4月に就任。過去2回の平和宣言でも「脱原発」に踏み込まず、「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立すること」を求めてきた。 続きは 広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る 本紙インタビュー

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【広島、被爆から67年】「震災被災者と共に」 平和宣言、原発是非触れず  核兵器廃絶へ誓い via 47News

広島は6日、原爆投下から67年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。平和宣言で 松井一実市長は、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを誓うとともに、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の被災者が前向きに生きようとする姿は67年前の広島に重なるとして「私たちの心は皆さんと共にある」と呼び掛けた。 また原発事故を受けて、国に対し市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立することを求めた。ただ「脱原発依存」に向けた国民的議論の方向性を見守るとして、昨年に引き続き原発の是非には触れなかった。 (中略) ▼平和宣言全文松井一実広島市長が出した平和宣言の全文は以下の通り。 1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化ま でもが失われてしまいました。―「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電 の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」―それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆 者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。 全文は【広島、被爆から67年】「震災被災者と共に」 平和宣言、原発是非触れず  核兵器廃絶へ誓い  

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’11広島の1年:核問題 原発事故、問われた被爆地 /広島 via mainichi.jp

3月11日の東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発は、放射性物質をまき散らし、人々から命と暮らしと尊厳を奪った。大勢の住民が帰郷を果たせぬまま、厳しい冬を迎えている。現実となった甚大な核被害に、全国で「脱原発」の声が沸き起こった。広島でも大勢の市民によるデモが繰り返された。原発事故は、被爆地・広島の立ち位置を問うた。  5月、菅直人首相(当時)の要請で浜岡原発(静岡県)が運転を停止した。しかし、中国電力は業界に足並みをそろえて原発推進の姿勢を堅持する。6月の株主総会では、上関原発(山口県)建設計画の中止など「脱原発」の株主提案は全て否決された。  迎えた8月6日。4月に就任した松井一実・広島市長の平和宣言に注目が集まった。松井市長は福島の原発事故に絡み「原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘し、「エネルギー政策の見直し」を国に迫った。しかし、自らの言葉として「脱原発」とは言わず、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長を務めた故森滝市郎氏の言葉「核と人類は共存できない」を引用しながら、「脱原発を主張する人々がいる」と述べるにとどめた。こうした言い回しに、賛否が分かれた。 続きは ’11広島の1年:核問題 原発事故、問われた被爆地 /広島

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