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中沢啓治さん 「ゲン」から米大統領へ…生前の手紙発見 via 毎日新聞

被爆者の声を聞いて  実体験に基づき原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さん(2012年に73歳で死去)が、オバマ米大統領に宛てて09年に書い た手紙が見つかった。核なき世界を訴えた演説への感銘をつづり、広島と長崎を訪ねて被爆者の声を聞くよう求めている。手紙は当時大統領に届かなかったとみ られるが、中沢さんの妻ミサヨさん(73)は「夫が『見つけてほしい』と訴えたのかもしれない」と話し、大統領の広島訪問実現を喜んでいる。【石川裕士】 (略) ミサヨさんによると、プラハ演説後に中沢さんは「これまでの大統領とは違う」と心を動かされ、手紙を書き始めた。「『この人なら被爆者の苦しみを分かって くれる』と思ったのでしょう」と話す。中沢さんは、英訳した手紙と「ゲン」英語版をオバマ氏や家族に届けようと試みた。大統領の家族と親交のある米国在住 の女性に送ったが、大統領には届かなかったとみられる。 (略) 中沢啓治さんの手紙(抜粋)  米国大統領バラク・オバマ&家族の皆さま  「はだしのゲン」の英訳化が完成したのを機会に、どうしても貴方(あなた)と貴方のご家族に読んで頂きたいと思い、手紙を書きました。  原爆投下から64年の8月6、9日を迎えたヒロシマ・ナガサキは初めて悲願の「核兵器廃絶」が現実の目標になった事を実感し、歓迎しています。それは、貴方の“プラハ宣言”が核兵器廃絶に向けた希望の灯(あか)りになったからです。  2007年の暮れ、シカゴのデュポール大学で広島市が開催していた「原爆展」に、偶然に足を運ばれてご覧になった……という新聞記事を見て深い感銘を覚 えました。「原爆展」が貴方の心に触れて「核兵器廃絶」に思いを至らせる契機になったのではないか……と推察したからです。  貴方がおっしゃる様に核廃絶は「生きているうちの実現は難しいかもしれない」極めて困難な課題だと思います。しかし、核兵器を使った唯一の核保有国の “道義的責任”と貴方の意思をより強固なものにして他の核保有国の意見をまとめる為(ため)には、何としても一度広島と長崎においで頂いて被爆者の声を聞 き、原爆資料館をご覧頂きたいと思います。  「はだしのゲン」が貴方の決意を世界中の平和を希求する人達(たち)のより確かな目標にするための手助けになることを心から祈ります。  2009年8月20日「はだしのゲン」原作者 中沢啓治 全文は[要有料登録] 中沢啓治さん 「ゲン」から米大統領へ…生前の手紙発見 

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戦後70周年で『はだしのゲン』を読み返す。作者夫人・中沢ミサヨさん 「思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖い」via 週プレNEWS

『はだしのゲン』は1973年、『週刊少年ジャンプ』で連載が始まった。 戦後70周年となる今年、今こそその世界を読み返したい!と『週刊プレイボーイ』33号では第1話&衝撃の原爆投下シーン、計47ページ分を特別掲載。 さらに特別企画として、作者の中沢啓治先生の夫人である、中沢ミサヨさんにインタビューを行なった。(聞き手:森健) (略) ■そして『ゲン』は読まれ続ける 『ゲン』の人気に火がついたのは、75年5月、汐文社(ちょうぶんしゃ)から単行本全4巻が発行されてからだった。朝日新聞の紙面で紹介記事が掲載され、日本全国に爆発的に広がったのだ。 原爆とはどんな体験だったのか。『ゲン』はそれをリアルに感じさせる初めての作品となった。大人ではなく、小学3年生の目線で原爆体験を描いた平易さも中沢氏の狙い通りだった。 その後、『ゲン』は媒体をかえながら、断続的に82年まで連載。16歳で上京する直前までの姿が描かれた。こうした日々の中で、中沢氏は講演に招かれたり、公の場に呼ばれることも増えた。だが、政治的な活動には関わらないようにしていたという。 * * * ―講演の依頼は多かったのでは? 中沢 一番多かったのは「体験を 語ってください」というものでした。人前に立つのは好きじゃないんだけど、評判がよくて、いやと言えなくて。でも「原爆は恐ろしいよ、平和は大事なんだ よ」ということは言いたかったから、それを少しでも伝えたいと出かけていたようですね。原爆症に対する誤解もまだまだありましたしね。 ―具体的にはどんな誤解が? 中沢 生命保険会社の営業マンがマ ンションにやって来て、主人が被爆体験があるのを知って「子供さんに影響するから保険入ったほうがいいですよ」なんて言ってきたり。そうした偏見や差別が 根強くあるんです。ある被爆者の人は「結婚しても子供は産むな」と言われたそうです。私も「よく子供を産んだね」と言われました。主人は「原爆はどういう ものか、やっぱり知っている人が知らせないといけないよな」と言っていました。 (略) ―にもかかわらず、2年前には『ゲン』が偏向した作品だとして、小中学校の図書館に閲覧制限が要求された事件もありました。 中沢 そのことを中国新聞の記者か ら電話で教えられた時は、読ませないようにする松江市教育委員会の決定の意味がわからなかったです。でもその後、反対署名が2万以上寄せられて、閲覧制限 は中止になりましたが…。思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖いですね。 続きは戦後70周年で『はだしのゲン』を読み返す。作者夫人・中沢ミサヨさん 「思想統一、歴史認識の一元化をしようとする今の動きは怖い」 関連記事: 前編⇒「『はだしのゲン』作者夫人・中沢ミサヨさんが語る、40年間読まれ続けてきた理由」  中編⇒「週刊少年ジャンプで連載していた『はだしのゲン』。作者夫人・中沢ミサヨさんが語る、執筆の動機」

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『はだしのゲン』の売上げ、昨年の12倍に!via ダ・ヴィンチ電子ナビ

著者である中沢啓治が、広島への原爆投下と被爆した人々の苦闘を自らの体験をもとに描いた『はだしのゲン』。電子書籍ストアのeBookJapanは同作品の売上が昨年同時期に比べて12倍になったと発表した。 同社によると、毎年、終戦記念日の8月15日頃に販売が集中するが、今年は松江市立の小中学校の図書館で、閲覧制限がかかっていた問題で話題となったことから、その動きが顕著に。終戦記念日1週間(8月15~22日)の『はだしのゲン』の売上げが大幅に伸びたという。 また、電子書籍だけでなく、紙の書籍も増刷がかかるほど大きな話題になっている。 続きは『はだしのゲン』の売上げ、昨年の12倍に! 当サイト既出関連記事: ゲン閲覧制限撤回:松江市教委「混乱させたことをおわび」via 毎日新聞  Japanese school board bans acclaimed anti-war manga via the Guardian はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」via 東京新聞  「はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江 via NHKニュース はだしのゲン:鳥取市立中央図書館でも事務室に別置き via 毎日新聞  文学と文化の教育・研究に携わる皆さまへ(呼びかけ) via 『はだしのゲン』閲覧制限撤回を求める教員・研究者有志のブログ はだしのゲン:閲覧制限 前教育長、教育委員に諮らず決定 via 毎日新聞

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「はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江 via NHKニュース

松江市教育委員会が、中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を、市内の小・中学校の図書室で子どもが自由に読むことができなくするよう学校側に求めていたことが分かりました。 市の教育委員会は、一部に過激な描写があるためとしています。 […] 教育委員会では、要請後の学校側の対応を把握していないとしていますが、学校の中には、図書室で読むには教員の許可を必要とした上で、貸し出しを禁止したところもあるということです。 松 江市教育委員会では、「平和への願いなど、作品に込められた趣旨は高く評価しており、教員が指導して平和学習の教材として使うことには問題はないが、過激 な描写が含まれており、子どもが自由に読むことについては疑問がある」として話しており、現時点では措置を変える予定はないとしています。 中沢啓治さんの妻「戦争の悲惨さを伝えられない」 「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「教育委員会が、『はだしのゲン』を自由に読めないようにして いるという話はこれまで聞いたことがなく、大変驚いている。『はだしのゲン』は、子どもたちが読めるように描写も抑えている。それでも、一部の描写が過激 だということだが、戦争や原爆の被害は決してきれいごとではないし、子どもたちに本当のことを知らせなければ、戦争の悲惨さや平和の尊さについてきちんと 伝えられない。松江市教育委員会には、『はだしのゲン』を子どもたちが自由に読めるようにしてほしい」と話しています。 続きは 「はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江 via NHKニュース 関連記事 はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」via 東京新聞 

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漫画家の中沢啓治さん死去 「はだしのゲン」作者 via 朝日新聞

自分の被爆体験を元にした漫画「はだしのゲン」で有名な漫画家・中沢啓治(なかざわけいじ)さんが19日、肺がんのため、広島市内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は本人の意向で行わなかった。 中沢さんは広島市出身。6歳の時、爆心地から1.3キロの同市内の国民学校前で被爆。父と姉、弟を失い、直後に生まれた妹もまもなく亡くなった。中学卒業後、漫画家を志して上京。1963年のデビュー当初は原爆体験を秘していたが、66年の母の死への憤りをきっかけに、初めて原爆を題材にした作品「黒い雨にうたれて」を発表した。 続きは 漫画家の中沢啓治さん死去 「はだしのゲン」作者

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