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(核の神話:16)水爆汚染、日本を覆った 映画で告発 via 朝日新聞

[…] ■ビキニ被曝追う、南海放送ディレクター・伊東英朗さん  ぼくがビキニ事件に出会ったのは2004年です。それからずっと取材し、ほぼ1年に1本は番組をつくって放送しています。南海放送という愛媛県のローカル放送局ですが、当初は放送してもほとんど関心を持ってもらえなかった。ほぼ反応ゼロ。多い年は年間200本くらいの番組をつくりますが、これほど関心を持たれない番組はないと思いました。それでも毎年、毎年、放送し、さすがに公共の電波でここまで関心が持たれないもの、つまり誰も見ない番組を放送していいのか、個人の思いだけでやっていていいのか、もうこの事件はだれにも興味を持ってもらえないから無理かなと思っていた矢先に福島の原発事故が起こり、放射能や「ビキニ事件」に関心が集まった。  1954年のビキニ事件発覚から10年後に東京オリンピックが開かれ、日本人は事件のことを忘れてしまいました。2011年の福島原発事故の9年後にまた、東京オリンピックが開かれようとしている。また、忘れてしまうのでしょうか。  福島の原発事故が起きてからは、もうひとつ目的ができました。福島の今後をどう見るのか、どういうふうにしていけばいいのか。ここに重大なカギがあります。「ビキニ事件なんて古い話を追っかけてないで、今のことをやれよ。福島だろう、伊東さん」と言われることがよくあるんですけど、福島を考えるうえで、このこと(ビキニ事件)はすごく重大なこと。福島は過去から学ばないといけないのに、事件は全く解明されていない。被曝(ひばく)したら、そのX年後、人間はどうなるか。これは、残念ですが、乗組員たちが死をもって伝えているという厳しい現実があるんです。死んでるわけです。ぼく自身、今までに130人ぐらいの乗組員や遺族からしか聞き取りできていませんけれども、取材した乗組員の多くが亡くなってしまっている現実がある。ところが、全容は全くわかっていない。130人はアメリカの核実験で被曝した人の何万人分の1かもしれない。この事件の全容を解明することによって、福島で今後どういうことが起こりうるのかということがシミュレーションできる可能性があるかもしれない。  戦後、太平洋で104回の大気圏内核実験をしたアメリカ原子力委員会は、アメリカ国内でも人体実験をたくさんした。旧日本軍が中国で人体実験をした731部隊と同じようなことをやったわけです。勝手に放射線を浴びせたり、プルトニウムを注射したり……。その人たちが核兵器を造り上げた。(ビキニ環礁で)核実験をしていた1950年代当時の原子力委員会のトップは、(ルイス・)ストローズという人物でした。彼は元金融家です。よく「核の抑止力」なんて言いますけど、確かに政治的に見ればそういうところもあるかもしれませんが、造ってる人たちは、実はビジネスでやっていたんだということを認識しておかなくてはならないでしょう。 【第五福竜丸だけじゃない】 […] 第五福竜丸の被曝が発覚した1954年3月から10カ月間だけ、人や船や魚の放射能検査が実施されました。検査を受けた船は延べ2729隻です。それだけの船が汚染海域を通った可能性があるということです。その2年前の1952年には、すでにたくさんの船が爆心地付近の汚染海域にいたわけです。この年が重要なのは、アメリカが勝手に決めていたマッカーサーライン(太平洋の禁漁区域)が撤廃された。だから、日本の漁船が「さあ、マグロをとるぞ」ということで勇んで爆心地近くの漁場にまで乗り込んでいき、被曝させられた。第五福竜丸が最初の船でも何でもない。すでに被曝が続いていたわけです。たまたま、第五福竜丸という船の被曝がスクープされただけです。  それから、アメリカの核兵器実験は1946年から1962年まで続けられている。104回です。核実験期間中、魚の検査をしたり廃棄処分をしたりしたのは1954年の10カ月間だけ。それ以外の期間は検査せず、強烈な被曝をした魚も水揚げされた。そういったものを私たちは食べ続けてきたという現実があります。しかし、何が起こっているのか、どういう健康被害があったのかはわかりません。  それから、もう一つ。フォールアウトが日本列島に届いていることは明らかです。アメリカ原子力委員会は1日ごとに調べている。機密文書によると、1952年にはすでに世界の107カ所にモニタリングポストを設置しているんです。うち日本は5カ所です。フォールアウトが広がることを予測し、それが分かってて彼らはやり続けていたんです。どれぐらいの放射性物質が降ってきたかというと、沖縄の気象台に「17万カウント」という記録があることは知っていたが、実はそれどころではなかった。福岡が35万カウント、鹿児島が24万カウント、そういった雨が日本列島に降っていたんです。もちろん、その1日だけじゃなく、多かれ少なかれ降り続いていた。そういうものが土壌に付き、作物に含まれ、私たちが摂取し続けた。映画の制作過程で、当時の放射性物質が現在も残っていることも分かりました。  無農薬野菜を選んで、放射性物質を摂取しないように気をつけていても、ごく微量ですがストロンチウム90とかセシウム137とかが、土壌に残っている。ビキニ事件というのは第五福竜丸1隻が被曝した事件ではなく、日本人の多くが強烈な放射能の影響を受けていることが分かった。ただ、そのことでどんな健康被害が起こっているかの実態はよく分からない。死んだ人は何も言いませんから。今生きている人は、たいしたことなかったんだろうなと思うかもしれません。ぼくもそうなんです。でも、生き延びられたということの奇跡をぜひ感じてほしい。もっと言うと、爆心地(漁場)に通ったマグロ漁船、爆心地近くを航行した貨物船、捕鯨船の人たちは、ほんとに良く生き延びられたなあ、と。よく80歳まで生きてるなあ、ほんとに奇跡だなあと感じます。  映画「X年後2」に登場する関東在住の川口美砂さんは小学校6年生だった時に、高知県室戸市のマグロ漁船員だったお父さんを36歳で亡くされています。朝起きたら、突然亡くなっていた。そういう人が室戸に行くといっぱいいます。今回の映画では、川口さんが故郷の元船員や遺族ら70人に聞き取りをしました。それに密着したのが、この映画です。実は一番好きなカットがあります。それはラストシーン。川口さんがある被曝者(元船員)の方に出会い、「おんちゃん、何歳?」「83歳」「あ、うちの父ちゃんと一緒や」って言うところがあるんです。自分で撮影しながら涙が出そうになりました。「酒を飲み過ぎたから早死にした」と言われた川口さんのお父さんも生きていれば83歳。ああ、今、川口さんはお父さんに会ってるんだなあ、そのときすごく実感しました。  お父さんが亡くなると、12歳の川口さんは家計を支えるために働き始めました。「なんちゃーことなかったですよ」って川口さんはいつも明るく言うんです。でも、改めてインタビューでそのことを聞くと泣き始めた。その時は正直、カメラを止めようと思ったんですけど、それが彼女の素直な気持ちだと思ったので収録し、映画で見ていただくことにしました。ぼくだったら耐えられないですね。小学校の時に自分の親が突然死んで、胸に耳を当てたとか、体が冷たくなってるとか。やはり僕らが考えなくちゃならないのは、じゃあ、何でそうなったのかということです。そして乗組員の死は家族を絶望させ、地域を破壊していくことを考えなければならない。 【原爆を落とした人がいる】 […] もっと読む。

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放射線を浴びたX年後 via 愛媛新聞

 伊方原発の運転差し止めを求めて松山地裁で争われている訴訟の原告は23都府県の622人。その中に高知県宿毛市の元高校教諭山下正寿さん(67)もいる▲  米国による1954年のビキニ水爆実験は第五福竜丸だけでなく延べ千隻のマグロ漁船に死の灰を浴びせた。3分の1が高知船籍。多くの乗組員が若くしてがんで死んだが、被ばく調査も救済もない。山下さんは埋もれた事実を生徒と調べ、日米の国家的不作為を明らかにした▲  「事実隠しと被害の過小評価。ビキニと東京電力福島第1原発事故は似ています」。ことし5月、伊方訴訟が始まった日に原告団記者会見で語っていた▲ その山下さんとともに隠されたビキニ被ばくを追った南海放送の記録映画「放射線を浴びたX年後」が松山と東京で公開中だ。乗組員の消息を訪ね歩く伊東英朗監督に返ってくる妻たちの答えが黙示に聞こえる。「早くに亡くなりました」「死因はがん系統」「夫はきのこ雲を見たと自慢しよったが、がんで亡くなった」▲ 続きは放射線を浴びたX年後

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