Tag Archives: 広島・長崎

黒い雨訴訟判決に加藤勝信厚労相「科学的知見と異なる」via 東京新聞

加藤勝信厚生労働相は7日の閣議後記者会見で、「黒い雨」訴訟で原告全員を被爆者と認定した広島地裁判決について「これまでの最高裁判決や科学的知見に基づくわれわれの対応とは異なる厳しい内容」と述べた。控訴については、引き続き被告の広島県や広島市と協議するとした。 控訴期限は12日。加藤氏は被爆75年となった6日、広島市内で被爆者と面会。控訴断念を望む広島県の湯崎英彦知事と広島市の松井一実市長とも協議した。こうした協議などの場で、援護対象区域外の人への対応について「地元から強く求められているとの話があった」と説明。「県や市の立場をしっかり共有させていただきたい」と述べた後、「一方で」として判決内容の厳しさに触れた。(共同) 原文

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黒い雨訴訟、地裁できょう判決 「被爆者」の境界、初判断 原告大多数が11障害 反映に注目 /広島 via 毎日新聞

 原爆の投下直後に降った放射性降下物を含む「黒い雨」を巡り、国が定めた援護対象区域の外側で雨に遭ったと主張する住民ら84人が、県と広島市に被爆者健康手帳の交付などを求めた訴訟は29日、広島地裁で判決が言い渡される。黒い雨に遭った人が「被爆者」と言えるかを問う初の司法判断となる。【小山美砂】  米軍が1945年8月6日に投下した原爆は、爆発で生じた上昇気流により放射性物質がついた火災のすすなどを含む「黒い雨」を降らせた。国は76年、被爆区域を除く爆心地から北西側の長さ約19キロ、幅11キロを黒い雨の援護対象区域に指定。この内側で雨を体験した人は無料で年1回の健康診断を受けられるが、厚生労働省令で「放射線の影響を否定できない」とされる11障害を伴った病気を発症しなければ被爆者健康手帳は交付されない。  95年施行の被爆者援護法は「被爆者」の定義の一つに「身体に原爆放射線の影響を受けるような事情の下にあった者」を挙げる。これに関し、2015年11月に提訴した「黒い雨訴訟」で住民側は、原爆放射線の影響が疑われる黒い雨により健康被害を受けたとして被爆者認定を求めた。 […] 全文

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黒い雨、国の線引き問う 広島84人「内部被ばく」争点 原爆被害、あす判決 via 毎日新聞

75年前の広島原爆で降った「黒い雨」で被害を受けたのに、被爆者健康手帳などの交付申請を却下されたのは不当だとして、広島県内の男女84人が、県と広島市に却下処分の取り消しを求めた訴訟の判決が29日、広島地裁で言い渡される。黒い雨は科学的に未解明な部分が多く、国は激しく降ったとされる地域だけを援護対象区域に指定。区域外の人たちは置き去りにされてきた。84人はこの「線引き」に異議を唱え、被爆者と認めるよう訴えており、黒い雨を巡る初の司法判断が注目される。  黒い雨は1945年8月6日の原爆投下直後に降り、核爆発に伴う放射性物質や火災によるすすを含むとされる。ただ、降雨の範囲や健康への影響などは不明な部分が多い。 全文

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原発の核燃料で核兵器は作れる? 核をめぐるQ&A via 朝日新聞

渡辺志帆、小川裕介 (略) Q1 プルトニウムや濃縮ウランって何? (略) 実は天然ウランの成分は、核分裂しにくいウランが大半を占める。0.7%程度の核分裂しやすいウランを原発で燃やせるように濃度を3~5%に高めたのが低濃縮ウラン。濃度20%以上の高濃縮ウランは核兵器に使われ、広島型原爆「リトルボーイ」にも使用された。 核分裂しにくいウランも原子炉内で燃やせば、自然界には微量しか存在しないプルトニウムができる。核兵器に使われる可能性があるので、テロリストの手に渡ると非常に危険だ。長崎型原爆「ファットマン」に使用された。 (略) Q2 原発の発電量は減る?増える? (略) 先進国で原発の建設が減り、廃炉も増えるのに、IAEAの予測では、50年の原発の発電量は低成長モデルでも2兆8690億キロワット時とやや増え、東アジアなどで電力需要が伸びると想定する高成長モデルなら6兆280億キロワット時と2倍以上になる。ただ、天然ガスや再生可能エネルギーなどの伸びが上回るので、比率はそれぞれ5.6%と11.7%。全体の中での重要性は下がるか、わずかな伸びだ。 (略) Q3 原発から核爆弾の材料はできるの? 日本は原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、現在、約46トンを保有する。これを理由に「日本は核武装を考えているのでは」と疑いの目を向ける国もある。本当に核兵器を作れるのだろうか。 日本の電力業界などは、日本が保有するプルトニウムは「原子炉級」であり、「兵器用に適さない」と主張してきた。プルトニウムの同位体(同じ元素で中性子の数が異なる)の中で、核分裂の連鎖反応を起こしやすいのがプルトニウム239。米政府などは、これが93%以上のものを「兵器級」、それほど高くないものを「原子炉級」などと分類している。 これに対し、「間違いなく作ることができる」と断言するのが、米国のNGO「憂慮する科学者同盟」のエドウィン・ライマン上級研究員。「原子炉級で核兵器を作れないと主張することは、核物質を厳重に守る理由を失いかねず、危険なウソだ」と指摘する。97年に米エネルギー省が発表した報告書も、「原子炉級プルトニウムでも、より高度の設計技術を用いればより大きな破壊力を持つ核兵器が生産可能」と結論づけた。 (略) 日本にも、プルトニウムや再処理技術の保持が潜在的な核抑止力になり得るとの主張は自民党内などに根強くあり、中国や韓国はたびたび懸念を示している。元原子力委員長代理の鈴木達治郎・長崎大教授は「核兵器を作らないのは意図の問題であって、技術の問題ではない。原子炉級プルトニウムだから約46トン持っていても問題ないというのは、説得力に欠ける」と指摘する。(渡辺志帆、小川裕介) 全文は原発の核燃料で核兵器は作れる? 核をめぐるQ&A

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(記者解説)ローマ法王来日 ナガサキからの発信 核と人類取材センター・田井中雅人 via 朝日新聞

・フランシスコ法王は長崎から核兵器の非倫理性を訴えるメッセージを発信する ・「神の摂理」でなく「人間のしわざ」、歴代法王は核兵器の正当性を否定してきた ・核兵器禁止条約推進のバチカンは、「使える核」開発のトランプ米政権とも対峙(たいじ)する  ■胸打った少年の写真 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(82)が24日、被爆地の長崎と広島を訪れる。法王の訪日は1981年の故ヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり2度目。被爆地からどんなメッセージを発するのだろうか。 (略) 長崎で被爆した森口貢(みつぎ)さん(83)は、少年を捜して来日したオダネル氏と交流した。オダネル氏は戦後、被爆の後遺症とみられる脊髄(せきずい)の痛みに苦しみながら、一貫して核兵器の非人道性を訴えた。しかし森口さんが昨年訪れた米国・ハンフォードの学校の校舎には、キノコ雲の絵が誇らしげに掲げられていた。ハンフォードは長崎原爆の材料となったプルトニウムが生産された原子炉があるところだ。森口さんは「キノコ雲の下で起きたことは、何も知られていない」と衝撃を受けた。 原爆は戦争を終わらせた「勝利の兵器」として語られ、犠牲者の中には、あの写真の少年のような子どもたちがいたことが伝えられていない。そう感じた。法王の長崎訪問に立ち会う森口さんは、「核兵器廃絶の強いメッセージを世界に発信してほしい」と願う。 法王は24日、長崎市の爆心地公園で核兵器に関するメッセージを発信し、県営球場でミサを行う。その後、広島市の平和記念公園を訪問する。 前田枢機卿によると、法王は「核兵器は使うのも造るのも倫理に反する」と訴えており、長崎から発信するメッセージでも、こうした核兵器の非倫理性を訴えるとみられる。 (略)  ヨハネ・パウロ2世は81年に広島で、「戦争は人間のしわざです」と語り、核兵器廃絶を訴えた。これはカトリック信徒らに影響を与えたとされる。 米国による原爆投下で「東洋一の大聖堂」とうたわれた長崎の浦上天主堂が大破し、信徒8500人が犠牲になった。妻を亡くし、自らも被爆した医師で信徒代表の故・永井隆博士はそれでも、「原爆は神の摂理であり、犠牲者はいけにえだった」と唱えた。 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が原爆報道や出版を禁じる「プレス・コード」を敷くなか、この「浦上燔祭(はんさい)説」を盛り込んだ永井博士の代表作「長崎の鐘」は、旧日本軍の残虐行為をGHQがまとめた「マニラの悲劇」との抱き合わせを条件に出版が認められた経緯があり、米国の原爆投下責任を見えなくしたとの批判もある。  ヨハネ・パウロ2世の「人間のしわざ」発言を機に、「原爆は神のしわざではなかった」(故・片岡ツヨさん)と被爆体験を語り始めた信徒もいた。胎内被爆者の高見三明(みつあき)・カトリック長崎大司教(73)は「永井博士は神の摂理を説いて米国をゆるそうとしたかもしれないが、原爆投下は正当化できない。償いは終わっていない」と語る。 (略) 日本のカトリック信徒は約44万人だが、世界には約13億人。今回の法王訪日のテーマは「すべての命を守るため」。高見大司教は「長崎からのメッセージの影響力は大きい」と話す。  ■「原爆神話」抜け出すメッセージ期待 米国、根強い正当化「戦争を終わらせた」 米国立空軍博物館(オハイオ州)で7月、長崎に原爆を投下したB29爆撃機「ボックスカー」を見た。看板には「第2次世界大戦を終わらせた航空機」とある。戦争を早期終結させ、多数の米国人兵士の命を救ったという「原爆神話」を守ろうとする勢力が、いまも強いのだと感じた。 (略) トルーマン大統領図書館(ミズーリ州)の資料によると、原爆使用を後悔したことはないと正当化し続けたトルーマン氏も、実は多数の女性や子どもの命を奪ったことへの無念を手紙につづり、バチカンとの関係を心配していたと側近が日記で記していた。当時米国とバチカンの間には国交がなく、浦上天主堂を原爆で破壊したことへの懸念があったのかもしれない。 法王は核兵器の抑止力の正当性を明確に否定し、踏み込んだ発言を繰り返している。NPTが定める核軍縮の誠実交渉義務を無視するトランプ米政権が、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約から離脱し、低出力の「使える核兵器」の開発を進めるなど、冷戦回帰のような現状への危機感の表れとも言える。 原爆投下75年を前に、法王は浦上天主堂跡で見つかった「被爆マリア像」や米国から返還された「被爆十字架」も目にすることになりそうだ。その上で原爆神話から抜け出すためのメッセージを期待する。それが、米国の「核の傘」に依存し、核禁条約に背を向ける日本政府にも転換を促すきっかけとなってほしい。 全文は(記者解説)ローマ法王来日 ナガサキからの発信 核と人類取材センター・田井中雅人

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黒い雨訴訟、原告に障害 弁護団調査「ほぼ全員、放射線影響」via 毎日新聞

広島原爆投下直後に降った「黒い雨」を巡り、国の指定区域外で浴びたと主張する住民らが被爆者健康手帳の交付などを広島県・市に求めた広島地裁訴訟で、原告85人(死亡8人含む)のほぼ全員が、「放射線の影響を否定できない」とされる障害と診断されたことが弁護団の調査で明らかになった。専門家は「原爆による内部被ばくが原因で早期救済が必要だ」と指摘。弁護団は16日から始まる証人尋問で障害と被爆との関係などを立証する方針。  国は爆心地近くの「被爆区域」にいた人には被爆者健康手帳を交付。ただ、放射性物質を含む黒い雨の実態は不明で、国は1976年、被爆区域外の北西側の長径約19キロ、幅約11キロを「健康診断特例区域」に指定。区域内にいた人は健康診断を無料で受けられ、更に国が「放射線の影響を否定できない」とする11障害を伴う病気を発症すると、医療費が無料になる被爆者健康手帳を交付している。これに対し、広島県・市は国に区域拡大を要望しているが、「科学的根拠がない」として認められていない。 (略) 国側は「主観的な危惧感のみでは保護に値しない」と反論して請求棄却を求めている。【小山美砂】 全文は黒い雨訴訟、原告に障害 弁護団調査「ほぼ全員、放射線影響」

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佐世保市長、核廃絶の署名「好ましくない」 原爆展巡り via 朝日新聞

長崎県佐世保市で4日に開かれた「原爆写真展」の後援依頼を市教育委員会が断った問題で、同市の朝長則男市長は27日の定例会見で「(写真展に付随して核廃絶を求める)署名活動をするのが好ましくない」と述べ、市教委の判断を支持する考えを示した。 写真展の会場では、核兵器廃絶の署名活動が計画されていた。会見では、市教委の担当者が、改めて「原爆展や平和は否定しないが、一つの考え方への同意や反対を求める署名活動は応援できない」と説明した。 これに続き、朝長市長は「核廃絶は理想的だが、核の傘の中にいて抑止力を利かせるのが現実」と発言し、核兵器禁止条約の署名・批准をしていない日本政府を支持する考えを示した。また、すべての国に条約への参加を求めるヒバクシャ国際署名について「署名するつもりはない」と述べた。 (原口晋也) 続きは佐世保市長、核廃絶の署名「好ましくない」 原爆展巡り

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「黒い雨」相談利用者が急減 被害者「国は死を待たず救援急いで」via 毎日新聞

米軍による原爆投下後に広島市や周辺に降った放射性物質を含む「黒い雨」について、援護対象区域外で浴びたと訴える人を対象にした国の相談支援事業の利用者が急減している。開始時の2013年度には半年で300人を超えたが、18年度は6分の1の50人で、国は高齢化による対象者の減少などが一因とみている。市などは独自の調査結果を基に雨の地域をより広く考え、広島市長の平和宣言では今年も含め10年連続で援護対象区域の拡大を要望しているが、国は応じていない。被爆者としての援護を求める体験者らは、早急な実現を訴えている。  黒い雨の実態は不明だが、国は爆心地から北西に長さ19キロ、幅11キロを大雨が降ったと認め、1976年に援護対象区域に指定。区域内にいた人は被爆者と同じ健康診断を受けられ、がんなどになれば被爆者健康手帳が取得できる。 ただ、区域外でも黒い雨による健康被害を訴える人は多く、市と広島県は08年、住民約3万7000人を対象に調査を実施。国の援護対象区域の6倍相当の地域に雨が降ったと結論付けたが、厚生労働省の検討会は「原爆由来の放射性降下物が存在した明確な根拠が見いだせない」として区域拡大を認めなかった。 厚労省は13年10月、健康被害の訴えは「精神的不安に起因」などとして、不安軽減の相談支援事業を始めた。国が費用を負担し、市と県が医師らによる健康相談などを受け付ける。市によると、延べ利用者数は▽13年度(6カ月)316人▽14年度150人▽15年度104人▽16年度98人▽17年度73人▽18年度50人。厚労省の担当者は「不安が解消した人が一定数いたことに加え、高齢化で体験者自体が少なくなった影響もあるのでは」と分析する。 市と県は一貫して援護対象区域の拡大を求め、松井一実市長は6日の平和宣言でも言及した。式典後の「被爆者代表から要望を聞く会」では「国は黒い雨被害者が死ぬのを待つのではなく、現実をみて救援を急いでほしい」と訴えがあったが、根本匠厚労相は従来の立場を変えなかった。 続きは「黒い雨」相談利用者が急減 被害者「国は死を待たず救援急いで」

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被爆十字架 米から返還申し出 via NHK News web長崎

原爆で破壊された長崎市の浦上天主堂のがれきの中から、終戦直後にアメリカの軍人が見つけたという高さ1メートルあまりの木製の十字架を、所蔵しているアメリカの大学が、カトリック長崎大司教区に8月にも返還したいという意向を伝えていることがわかりました。 高さ1メートル余りの木製の十字架は、アメリカ・オハイオ州にあるウィルミントン大学の平和資料センターが所蔵しています。 センターのターニャ・マウス所長が、カトリック長崎大司教区の高見三明大司教に送った書簡によりますと、十字架は、終戦直後の昭和20年10月に長崎市に進駐してきたアメリカ軍のウォルター・フック氏が、原爆で破壊された浦上天主堂のがれきの中から見つけ、アメリカに送ったものだということです。 その後、フック氏から大学に寄贈された十字架についてマウス所長は「十字架は試練の象徴であり希望の象徴で、浦上天主堂に戻す必要があると感じるようになった」と返還を申し出ていて、ことし8月に来日して手渡す方向で調整しているということです。 続きは被爆十字架 米から返還申し出

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原爆キノコ雲のロゴに疑問 日本人留学生の行動に反響 米西部  via NHK News Web

2019年6月13日 14時44分 アメリカ西部ワシントン州の地方紙に、ある日本人留学生の勇気ある行動を伝える記事が掲載され反響を呼んでいます。留学先の高校のロゴマークに原子爆弾でできたキノコ雲のデザインが使われていることに1人、疑問の声を上げたのです。 ワシントン州のリッチランドは、長崎に投下された原子爆弾に使われたプルトニウムが生産された町で、地元の高校のロゴマークにキノコ雲のデザインが使われるなど、住民の多くはその歴史を誇りとしてきました。 福岡県の高校3年生、古賀野々華さんは、こうした背景を知らないまま、交換留学で現地の高校に通うことになりました。 しかし、学校に通う中で、ロゴマークや町の歴史について知り、地元の人たちの原爆に対する考え方を学ぶ中で、みずからが原爆についてどう感じているかを伝えたいと思うようになったということです。 そして、学校の教師やホストファミリーの後押しを受けて、先月30日、放送を学ぶ生徒たちが、校内向けに制作する動画に出演し、自分の意見を伝えました。 動画で古賀さんは「リッチランド高校では、キノコ雲のロゴは皆に愛され、いろんな所に掲げられています。自分にとってのキノコ雲は犠牲になった人と今の平和を心に刻むものです。キノコ雲の下にいたのは、兵士ではなく市民でした。罪のない人たちの命を奪うことを誇りに感じるべきでしょうか」と問いかけています。 古賀さんの勇気ある行動は、地元の新聞などが報じ、ツイッターではロゴマークの是非をめぐり議論が起きるなど反響を呼びました。 留学を終えて帰国した古賀さんは「私1人だけが周りと全く違う意見を持っていて、英語もパーフェクトに話せない中、本当に伝わるのかとか、どんなリアクションが返ってくるのか考えてしまい、動画を公開する前の日は恐怖や緊張を感じました。あの動画がなければ、日本側の意見は一生知ることがなかったと言われ、本当にやってよかったと思いました」と話しています。 ツイッターには、古賀さんの行動をたたえる声や、キノコ雲のロゴマークへの批判が投稿されるなど反響を呼びました。 英語のツイートの中には、「ロゴマークを変える時が来たのではないか。これは平和のために活動する人への侮辱になる」とか、「今は1945年ではない。このロゴマークに違和感を覚えない人はあわれだ」などといったキノコ雲のデザインに批判的なコメントが目立ちます。 一方、「長崎や広島につながりのある人たちにとっては受け入れがたいことかもしれないが、あれらの爆弾は、他の多数の日本人の命を救うことにつながった」とか、「戦争を終わらせたというのは誇りに思ってよいことだと思う」という投稿もありました。 また、アメリカ在住の被爆2世だという女性は「学校のロゴについての議論を通じて、私の母や家族のように、あのキノコ雲の下にいた人たちの存在を伝えてくれた日本人留学生のことを誇りに思います」と古賀さんの行動をたたえました。 ビデオを見る。

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