始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半 – 吉野源太郎 via Blogos

(抜粋)

3年半前、大震災直後の現場を取材しようと、原発のある福島浜通りを車で北上した時のことを思い出した。誰にも出会わない夜道の恐ろしさは、あのと きとそっくりだ。当時足を延ばした宮城から岩手にかけての道は、津波で運ばれてきた瓦礫で埋め尽くされ、これもすさまじい光景だったが、これら三陸地方で は今は高台移転や漁業の復興など次第に明るい話題も伝えられている。だが、福島では、被災の傷跡はむしろ拡大しているように見えた。

瓦礫の代わりに除染作業で出た泥や草木が、ビニール袋のような巨大な特殊容器に詰め込まれて、無人の街の道路脇に延々と並んでいる。「福島の復興なくして日本の復興なし」と叫んだ安倍晋三首相の言葉がいかに空しいか、現地を見れば説明の必要はない。

(略)

驚くべきは申立人である住民の数だ。浪江の場合は全町民の73%にのぼる1万5313人(申し立て後 、避難生活の中で死亡した住民も170人以上いる)。飯舘村は9月6日に申し立ての受付を始めたばかりだが、週末6、7の両日だけで既に約6000人の住 民の半数を超える3100人に達するという。

浪江の申し立ては、国の原子力損害賠償紛争審査会(原倍審)が決めた指針で事故半年後にいったん1人月額10万円とされた慰謝料を、これに加え 25万円を支払うこと(2012年3月-14年2月)などを求めたものである。避難生活の長期化と今後の生活再建の見通しが困難なことがその理由だ。

ADRセンターは今年3月、その趣旨を認めて増額分を1人5万円とする和解案を示した。浪江側は今年5月、これを受諾したが、東電は増額を1人2万円とする「事実上の拒否回答」(馬場有浪江町長)を行い、今度はADRが東電に今月25日を期限に再回答を求めている。

一方、飯舘関係の申し立ては、「初期被曝の慰謝料・避難の長期化への慰謝料延長と増額・不動産賠償の増額」等を求めるもの。どちらの町村も、被災 者が長期間、避難生活を強いられ、その生活環境は改善どころか悪化しているという過酷な現実の中で、現在の不安だけでなく、将来の生活設計ができない、そ れなのに原倍審の指針はこうした現実に対処するのにきわめて不十分だ、という被災者の不満が噴出したものである。

「一揆」主導者の深い悩み

寡黙で忍耐強い福島の農村地帯の住民たち。元来、お上(かみ)にたてつくことは好まず、原発事故という理不尽このうえない仕打ちにあったというの に、下を向いたまま耐えてきた人々が、とうとう声を上げたのである。それは、日頃穏やかな彼らの性格を考えると、心の中の抑えきれない激しい怒りの表現で あり、静かで緩慢ではあっても、浜通りの「一揆」と言っても過言ではないように思える。

飯舘村でADR申し立てを主導した長谷川健一さん(60)は、申し立てを言い出した時の心境をこう語る。

「今まで黙って暮らしてきたのだから、このまま黙っていたかった。もう我慢できねえと踏ん切りをつけるのに、どれだけ悩んだか」

「一揆」の首謀者にしても悩みは深かったのだ。年老いた親や親戚、部落の人々に気兼ねをして暮らしてきた住民はすべて、「蜂起」にあたってもだえ苦しんだようだ。

福島は3年半前もやはり過疎地だった。今、政府は、景気回復政策の柱に「地方創生」を掲げる。そして一見、福島の復興にとって追い風のように聞こ えるこの政策が、実態 は全く逆に、これまで福島の復興を阻み、これからも福島住民の希望を奪っていくことが見えている。福島の住民はそれを見てしまったのだろう。

絵空事になった「美しい村」

「政府が打ち出す公共事業のラッシュで、人手が集まらないんです」。今も全村避難を強いられている飯舘村の門馬伸市副村長はうめくように言う。

(略)

福島被災地の住民が、心の中で切実に望んできたのは、ふるさとの町や村への帰還である。明日のふるさとを約束するには、子どもたちが安心して住める 環境がなければならない。それにはなおのこと徹底した除染が必須である。放射能汚染をそのままにしていては、田や畑はもとより、学校も保育所も使えない。 山深い飯舘村の環境は、それを分かりやすく教えたのである。

本音は「財政支出の抑制」

しかし、徹底した除染とは果たして実行可能なのか。家々や学校の屋根を葺き替える。場合によっては土台から建て替える。山林の伐採も必要になるだろう。田や畑の土は掘り起こして、はぎ取らねばならない。養分を含んだ土がなくなって作物はできるのか、といった問題もある。

仮にそのすべてが実行可能だとしても、それらには天文学的な費用がかかるだろう。それは誰が負担するのか。ここまできて、福島の復興を阻んでいるのは単なる人手不足ではなく、復興費用の財政負担であることが誰の目にも明らかになる。

政府にとっては適当な除染で「帰還」が可能であるかのように住民が思ってくれている状態が最もありがたい。住めないと分かって集落を丸ごと移転させることになれば、さらに金がかかる。要は、政府にとっての復興政策の原則は、財政支出の抑制なのである。

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