除染で破壊される里山の生態系 村民がいなくなった飯舘村の現在 via JB Press

(抜粋)

汚染地域でも立ち入りはできる不思議

飯舘村小宮地区の農場で野菜の栽培を続け、その線量を測定してインターネットで公開している伊藤延由さん(70)の農場に行った。

避難で人がいなくなった田んぼには、田植えの時期になっても水が入らなかった。そのためカエルが産卵の場所を失った。伊藤さんが田んぼに水を入れたら、モリアオガエルやツチガエルが産卵に戻ってきた。

そんな話を前回書いた。

「目黒さんが帰ってるみたいだから、寄っていきましょう」

白い軽トラを運転する伊藤さんがそう言った。目黒さんは隣の農家だ。モリアオガエルのタマゴを見にいった帰りである。この山あいの集落では「隣の家」は歩いていくのがしんどいほど離れている。軽トラで行く。

小宮地区は「立ち入りはできるが、住んではいけない」区域に指定されている。だから、ときどき村人が掃除や犬猫の餌やり、持ち物を取りに帰ってき ている姿を見かける。考えてみると、放射性物質で汚染された一帯なのに、不思議な光景だ。日本の法律が原発災害の放射性物質が20キロを超えて飛んでいく ことを想定していなかったためである。20キロ圏内が強制避難・立ち入り禁止になっていた時も、その外側(原発から30~50キロ)にある飯舘村は、汚染 度は内側と同じくらいなのに「住んではいけないが、立ち入りはできる」という不思議な扱いだった。だから住民は村外に避難したあとも、宿泊しなければ自分 の家に帰ることができた。今でも基本は変わらない。伊藤さんの農場は、原発から33キロだ。

(略)

目黒さんが山林でキノコ栽培の床木を取っていたように、阿武隈山地はいろいろな恵みを村人にもたらしていた。例えば、田畑の肥料。山林の地面には、 落ち葉や枯れ木が落ちて積もり、分解され土に還っていく。いわゆる「腐葉土」である。村人は、腐葉土を山から運んで田んぼに入れる。豊かな栄養分を含むだ けでなく、腐葉土には様々な微生物がいる。それが活動して土壌をより豊かにする。

また山は、薪や炭といった燃料の供給源でもあった。それを燃やして煮炊きをし、暖を取る。山には炭焼き小屋があり、炭を焼く職人もいた。そうした 木を燃やしても有毒物質は出ない。灰はまた自然に還る。ナベを磨くときにタワシにつける磨き粉に使ったり、山菜を煮るときのアク抜きにも使う。

そうやってコメや野菜を作る。食べる。稲を刈り取ったあとの稲藁は牛の飼料になる。牛のふんは肥やしになる。

牛だけではない。人間の糞尿は肥料に使える。田畑に撒く。また作物が実る。なるほど、そう思ってみると、村の農家の便所はだいたい母屋から離れている。糞尿が汲み取りやすいようにそうなっているのか、と納得した。

(略)

だから村には都会のような大規模なスーパーマーケットがない。なくても村人は困らない。食料は、買わなくても身近にあるからだ。というより、目黒さ んの話を聞いていると「食品を買う」という発想があまりない。「そんなもん、そこらへんにいくらでもあっぺ」と目黒さんは笑った。

そうやって村人がコメを作るために田んぼを開墾する。水を入れる。カエルが来る。タマゴを産む。オタマジャクシになり、手足が生えてまた森へと 帰っていく。水路にドジョウが住む。カモやサギが飛んできて餌を捕る。そんな生態系の一部に、人間も組み入れられている。それが阿武隈山地と共生してきた 「里山」の生活形態なのだ。

土壌を根こそぎ掻き出す除染作業

「それが、原発事故でどうなったと思います?」

豊かな暮らしだなあ、とぼんやり感心しながら聞いていた私は、伊藤さんの言葉ではっと我に返った。そうなのだ。ここは放射能の汚染地帯なのだ。

3.11のあった年、伊藤さんは、自分の農場の土に沁み込んだ放射性物質の計測を依頼した。

・腐葉土: 1キロあたり11万ベクレル
・深さ5センチの土: 同1.7万ベクレル
・深さ10センチの土: 同1080ベクレル
・収穫されたコメ: 2万8000ベクレル

(略)

2011年3月、福島第一原発から漏れ出した大量の放射性物質は、放射能を帯びたチリの雲として流れ、この阿武隈山地に雨や雪になって降り注いだ。枝や 葉をつたい、腐葉土に染み込み、さらに下の土壌に染み込んだ。除染とは、そうした「放射性物質の染み込んだ土壌を根こそぎ掻き出してしまう」ことなのだ。

全文は除染で破壊される里山の生態系 村民がいなくなった飯舘村の現在

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