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40年前に「脱原発」 詩人・栗原貞子さんの自筆論文 via 朝日新聞

広島への原爆投下直後に誕生した命についてうたった詩「生ましめんかな」で知られ、2005年に92歳で亡くなった栗原貞子さんの自筆論文が広島女学院大(広島市)に寄贈された。原爆投下から30年後にあたる1975(昭和50)年に書かれ、国内で進む原発建設を憂えて「脱原発」を訴えていた。

自筆論文は「核文明から非核文明へ」。地元・中国新聞社の懸賞論文に応募したもので、400字詰め原稿用紙20枚。最終的に選からは漏れ、78年に再構成されて著書「核・天皇・被爆者」(三一書房)に掲載された。だが、当時の同社編集局長で元広島市長の平岡敬さん(86)が「原発と原爆はコインの裏表。処分するのはしのびない」と考えて、自宅に保管していた。

(略)

論文が書かれた前年の74年には、原発を立地する見返りに国が交付金を出す根拠とされる「電源三法」が施行。一方で原子力船「むつ」の放射能漏れ事故が発生し、原子力の危険性が取りざたされていた時期でもあった。

栗原さんは論文の中で、原発事故で大量の放射能が漏れた場合を想定し、「局部的に、ヒロシマ、ナガサキの悲惨が現実のものとなるであろう」と指摘。「日本国民は戦争体験被爆体験によって何を学んだのだろう」と嘆いていた。

コストが低く、安全なエネルギーとPRされていた原発に対しては「重なる事故などで逆にコスト高になる」としたうえで、建設が進む背景として「原爆の材料であるプルトニウムをつくり出すのが目的」を挙げていた。

全文は40年前に「脱原発」 詩人・栗原貞子さんの自筆論文

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