ブログ:フクシマ被災者とサムライ via ロイター

By Damir Sagolj

福島県飯舘村に住んでいた大久保文雄さんは、2011年の東日本大震災が発生して間もなくテレビで強制避難が通達されると、一番上等な服を身に付け、義理の娘が用意してくれた夕食を楽しんだ。

その翌朝、大久保さんは、ビニール袋をつなげて作ったひもで首を吊って亡くなっていた。当時102歳だった彼の最期は、古き時代のサムライの死に方を思い起こさせる。飯舘村で生まれ育った大久保さんは、他のどこでもない故郷の美しい村での死を選んだ。

大震災で何も失わなかった人々は、地震や津波の真の恐怖をすぐに忘れてしまいがちだ。しかし、福島県の数多くの不幸な人々にとっては、3月11日は悲痛な物語の幕開けであり、私にとってもこれまでで最も胸が痛む取材の1つとなった。

想像もできないことが起こった。福島が誇る原子力発電所が、怪物のような津波にやられ、いまだに収拾されない一連の災害を引き起こした。2年半以上たった今でも、福島はかつてないほど荒廃している。

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仮設住宅に移り住んでから間もなく、妻がうつ症状を患うようになった。3カ月後、妻は胃の不調を訴えて病院に運ばれ、それから4カ月後 に亡くなった。このとき、それまで強く生きてきた男性の人生は崩れ落ちた。妻の話をしながら泣き崩れる男性に、妻の病気がうつと関係があると思うかと尋ね ると、静かに「そうだ」と答えた。

むき出しの壁に囲まれた部屋は写真や絵で飾られ、妻の仏壇と大きな新しいテレビがある。これがまるで夢であるかのように、震災前の生活にあった物は何ひとつない。

「歌を聞きたいか」――。男性はこうたずねてきた。男性が作ったという歌を聞いて私が理解できたのは「さよなら」と「富岡」という言葉だけだった。だが、通訳の必要はなかった。悲しみあふれる歌の響きがすべてを物語っていた。

毎日新聞の報道によると、福島県の自治体が「震災関連死」と認定した死者数は、地震や津波による直接死者数を上回った。避難生活による体調の悪化や自殺などの震災関連死で、約1600人が死亡した。

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皮肉なことに、チェルノブイリを追われた多くの住民は比較的早く新生活をスタートできた。共産党政権下での過酷な暮らしのせいもあり、住民たちは犠牲者のこともチェルノブイリで日常生活に戻る希望も忘れ去り、各地へと移り住んでいった。

中には法を無視してフェンスを飛び越え、チェルノブイリに戻る人たちもいた。だが、日本人は同じことはしないだろう。法を順守し、指示に従い、プレハブ住宅でずっと苦しみ続けるのだ。自身の道を貫こうとする一握りの人間を除いては。

かつては精神障害者の介護者で、現在は農業を営む男性もこうした人の1人だ。避難区域内にとどまることを選択した男性は、動物の保護に 専念した。住む人がいなくなった町や村に出向き、避難時に飼い主が置いていったイヌやネコ、ウサギなどを回収した。現在、男性は楢葉町近くの牧場で、 500匹の動物とともに暮らしている。

「隣人はいない。ここにいるのは私だけ、それでも私はとどまる」。20匹以上いる中で、人間に心を許しているイヌは2匹だけだ。そのうちの1匹「アトム」は、とてもかわいい白の雑種犬だ。福島第1原発事故の直前に生まれたため、そう名付けられたという。

全文はブログ:フクシマ被災者とサムライ

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