菅直人元首相、3.11 原発事故当時について、ユーザーからの質問へ回答ツイート via Huffington Post

東京電力福島第一原発で所長を務めた吉田昌郎氏が9日午前亡くなった。震災発生当時、首相を務めていた菅直人氏はツイッターで「残念の極み。もう一度ゆっくり話をしたかった」とつぶやいた。

そして菅氏は、10日朝、当時のことを振り返るツイートを始めた。

朝日新聞デジタルでは、震災当時の吉田氏のことを下記のように報じている。

 午後7時過ぎ、1号機の原子炉を冷却する淡水がなくなり、現場では海水の注入を始めた。直後、官邸に詰めていた武黒一郎フェロー(当時)から吉田さんに電話が入った。「今官邸で検討中だから、海水注入を待ってほしい」
本店とテレビ会議で対応を相談。本店側は中断もやむを得ないと判断したが、吉田さんは海水注入を止めれば事故が悪化すると考えた。担当者を呼んだ。
「これから海水注入の中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」とマイクに拾われないように小声で指示し、海水注入を続けた。
(朝日新聞デジタル「吉田元所長、闘いの連続 原発と東電本店と官邸と」より。 2013/07/10 05:55)

菅氏は続ける。

(略)

菅 直人 (Naoto Kan)         @NaotoKan

吉田所長に海水注入の中止を直接指示したのは東電の武黒フェロー。官邸からの指示と当時 報道されたが、私を含め官邸の政治家は海水注入で廃炉になって海水注入は当然と考えており、誰も中止を指示してはいない。指示をしたのは官邸にいた東電の 武黒フェローと東電上層部の。つまり東電内部の指示。

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