【話の肖像画】福島 復興への提言(中)
■NPO放射線安全フォーラム理事・多田順一郎
[...]
--放射性セシウムが体に入ったらどうなる
多田 セシウムという元素は私たちの体に体重の0・2%くらいの割合で含まれているカリウムと化学的性質がよく似ている。体にとりいれられたセシウム は、カリウムと同様に主に筋肉などに分布し、尿や便などから排出される。放射性物質を猛毒のように思う人が多いが、カリウムにも放射性のものがあり、体の 中には常に約4千ベクレルの放射性カリウムが入っている。放射性カリウムも放射性セシウムと同じようにベータ線とガンマ線を出す。原発事故がなくても私た ちは体の中にある放射性カリウムで内部被曝しているわけです。
--食品中の放射性セシウムは昨年4月からより厳しい新基準となった
多田 新基準は、食材の半分がその濃度の放射性セシウムを含む飲食物だけで1年間暮らせば、体に取り込んだ放射性セシウムから1ミリシーベルトの放射線 を受けるという値。1ミリシーベルトの内部被曝とは放射性セシウムを6万ベクレル摂取することと等しい。新基準の何十倍もの放射性セシウムを含む食品を1 年に何度か腹いっぱい食べたとしても健康への影響を気にする必要はないでしょう。
--基準を少しでも超えると廃棄処分にしないといけない。もったいない
多田 大気圏内核実験が盛んに行われていた1960年代の日本人が食べていたものとさして変わらない量の放射性セシウムなのですが、安心のために清浄な 食べ物を別に求める経済的余裕が日本にはある。一方で日本人が捨てている食糧の影響は、巡り巡って世界中の最も弱い立場にいる人々の命をつなぐための糧に 及んでいるかもしれない。私たちは世界中で突出して厳しい食品基準を運用していて、ときとしてその基準を下回る食品すらも拒絶する。その倫理的な意味を もっと真剣に考えるべきではないか。
--消費者の「安心」のためにはやむを得ないという声もある
多田 安全のために費やすことのできるお金や人的要員などの社会資本は有限だ。放射線に対して突出した対策を講じれば他の危険への対策がおろそかにな る。限りある社会資本をできるだけ有効に使うために、放射線に対してもっと理性的な文明人として対応する必要があると思う。
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散々くり返されたカリウムによる自然内部被曝と原発事故由来の放射性物質による内部被曝の比較レトリックですが…。すでにそれだけの自然内部被曝をしているのなら、なぜこれ以上の被曝を避けようという「理性的な」考え方にならないのでしょう。また、大気圏内核実験時代と「さして」変わらないとのことですが、ではなぜその時代の蓄積に加えてさらに被曝の可能性が増したのだという事実認識に至らないのでしょうか。免疫の話ではないのです。もうこれだけ被曝してるからさらに被曝しても大丈夫、ということにはなりません。汚染食品が途上国にまわされているということ(外務省は平成23年度第3次補正予算要求のための資料内で「被災地産品を供与することにより開発途上国の経済社会開発を支援すると同時に、いわば「呼び水効果」によって風評被害の払拭及び被災地の経済復興に貢献する」と明記しています)、その倫理性については重要な指摘ではありますが、この文脈においては(たとえ微量であれ)汚染された食品を、途上国の人々かあるいは日本の消費者か、結局どちらが引き受けるかという話でしかありません。そもそもの汚染の原因を作った加害者である東京電力の賠償責任を問うことなしには「風評被害」問題の本質的な議論はできないはずです。
理性を欠いた主張とともに、例えば「安全のために費やすことのできるお金や人的要員などの社会資本は有限だ」のように、いかにも常識的な断定を連ねているのにも憤りを覚えます。「これ以上安全確保のためにお金は費やせない」とだれがどこで決めるのでしょう。「有限」とは企業が要求する利潤のはばで決まるものです。こうした前提を意識化し、問い返さずには根本的な安全、命の尊厳の復活への道に向かうことはできません。