ふるさと:原発事故23カ月 2度、国に捨てられた via 毎日jp

東京電力福島第1原発事故に見舞われた橘柳子(りゅうこ)さん(73)は、福島県浪江町権現堂の自宅から夫(76)と帰省中だった妹(63)の3人で避難する車の中で、旧満州(現中国東北部)から命からがら帰国した68年前の逃避行を何度も思い出していた。

「戦争が終わっても、国からは具体的な引き揚げの指令は来なかった。原発事故が起きた後も一緒。人生で私は2度、国に捨てられ、棄民になった」

(略)

第二のふるさと・ 浪江町に原発建設計画が浮上すると反対運動に加わった。保護者には原発関係者も多かったが、「原発から放射能が漏れたら、どうなると思う?」と問いかける など、原発の危険性を考える授業にも取り組んだ。それだけに、「事故が起きてしまったのは自分たちの力が足りなかったから」と自責の念に駆られ、今も落ち 込む時がある。

原発事故からの避難で、首をかしげたくなる国や県の対応を経験した。甲状腺がん予防のため、避難所で子 どもにヨウ素剤を飲ませるように訴えたが、聞き入れられなかった。橘さんをはじめ多くの人が浪江町からの避難に使った国道114号方面には原発から高濃度 の放射性物質が流れていて、そのことをSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は示していたが、すぐには公表されなかった。

「なにかあると、いつも苦しめられるのは民衆。終戦後と原発事故後の避難は、徒歩が車に変わっただけ」

全文はふるさと:原発事故23カ月 2度、国に捨てられた

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