反原発運動の25年—三浦翠さんに聴くvia平和市民

—「原発いらん!山口ネットワーク」は一九八六年のチェルノブイリ原発事故をきっかけにして山口で初めて誕生した反原発・脱原発の市民グループですから活動歴は長く、会報もこの七月で二九五号を数えています。この活動を始められた経緯から話してください。
三浦チェルノブイリ事故が起こったのは四月二六日のことです。間もなく八〇〇〇km離れた日本にも放射能が飛んできました。私は七〇年代に有吉佐和子の『複合汚染』などに影響を受けて安全な食料自給のできる生活をしたいと思い、鹿野町で無農薬有機の農業を始めていました。五月には自家栽培のお茶を摘み、それを安心して飲んでいたのです。
でも、それも汚染されていたことを知り、とても悔しい思いをしました。私はガイガー・カウンターをもっていたわけではありませんが、伊方原発の出力調整実験反対の集会がもたれたとき、そこで会った人にも教えられました。グリーンコープの他にも高木甚三郎さんの「原子力資料情報室」などが食品汚染の情報提供をしており、当時は人々の関心も高かったのです。

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