下北半島が「原発ゼロ」に怒るわけ via マガジン9

(抜粋)

六ケ所村にとって再処理工場は、村を二分する激しい対立の末、苦渋の決断で受け入れた重みがある。「国策」という大義名分があるからこそ成立した選択だった。20年以上の年月を重ねるうち、村民の多くがその存在を受け入れ、共存する形でのまちづくりが定着した。

3・11で核関連施設の危険は十分に認識した。でも、1万1千人の村民のうち約2000人が核燃料サイクル関連の仕事をしているとも言われる現状がある以上、再処理をやめた後の道筋や展望が全く示されないまま、おいそれと今の生活を放棄するわけにはいかないのだ。

もちろん、これまで再処理工場に2兆円以上が投資されたにもかかわらず、1997年の稼働開始の予定がいまだに試運転にとどまっている状況は、強く批判されなければならない。しかし、批判が向かうべき先は国や原子力ムラであって、決して地元住民であるべきではない。

「原発ゼロ」をめざし、使用済み核燃料の再処理をやめるのなら、そこから先のこともセットで考えていかなければならない。最終処分場をどこに確保するのかはもちろんだし、前回の当コラムで指摘したような立地自治体の地域振興に向けた法制度をつくることも必要不可欠だ。原発の停止がゴールではないことを、しっかり確認しておきたい。

地元住民の不信感は、政府だけでなく、電気の消費地たる都会にも向いているのだと思う。国策の背後にいて、地方に原発や関連施設を引き受けさせてきたのは、他ならぬ都会の住民だからだ。

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