揺れる「原発発祥の地」東海村 村長が反旗 廃炉求める署名17万人超す via 日本経済新聞

1957年、国内で最初に「原子の火」がともった茨城県東海村。多くの原子力施設が集積し、全国の原発立地自治体のモデルになってきた。しかし東日本大震災後、村上達也村長(69)が「脱原発」を打ち出し、日本原子力発電の東海第2原子力発電所の再稼働中止・廃炉を求める署名が17万人を超えた。「原発発祥の地」で何が起こっているのか――。

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村 上村長は1999年、作業員2人が死亡、約670人が被曝(ひばく)したジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故に直面し、国の判断を待たずに 住民避難を指示した経験を持つ。JCO事故後、原子力災害対策特別措置法や経済産業省原子力・安全保安院、オフサイトセンターなどの法制度・組織が整備さ れた。それでも村長の国の原子力政策に対する不信感は消えなかった。

そして起こった東京電力の福島第1原発事故。「この国は原発を持つ資格も能力もない」と東海第2原発の廃炉要求に踏み切った。4月に64市 区町村長が賛同して結成された「脱原発をめざす首長会議」に、原発立地自治体で唯一参加。5月には長年務めてきた全国原子力発電所所在市町村協議会の副会 長も辞任し、脱原発を訴えて全国を飛び回る。

だが村長の“反乱”は、村内では表向き大きな話題になっていない。原子力は地域経済に深く入り込んでいる。55年に2つの農村が合併して誕生した東海村 は、原子力施設の集積とともに人口が3倍の3万8000人に急増。村民の3人に1人が原子力関連の仕事に就いているとされる。

■村議会、請願採択先送り

「わたくしたちはゆかしい歴史と原子の火に生きる東海の村民です」。東海村の村民憲章には原子力との共生がはっきりうたわれている。村内には「原研通り」「原電通り」「動燃通り」と原子力事業者の名前を冠した道路が通る。

原子力関連の交付金や固定資産税、法人税は年間約60億円で、村予算の3分の1近くを占める。財政力指数は県平均の2倍で、子どもの医療費は無料、介護保険の自己負担分の7割を村が補助する豊かな村だ。ある会社員(42)は「原発はあるが、福祉が充実しているので引っ越してきた。村長の反旗で村が貧しくなるのは困る」と心配する。

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