3・11から1年、「低線量被曝との終わりなき戦いは続く」via Swissinfo.ch

「3・11」からまもなく1年。しかし原発事故による放射線被害は改善を見ないままだ。「低線量被曝と戦う親や子どものストレスは並大抵のものではない。しかもそれに終わりはない」と、スーザン・ボース氏は語る。

ボース氏は、左派の重要なスイスの週刊新聞「ヴォッツ(WOZ)」の編集長。昨年2回福島県を訪れた。その計40日間にわたる滞在で、東京電力や福島県庁 の関係者、南相馬市や飯館村の村長、さらに多くの県内の一般市民と対話を重ね、今年1月末に福島についての本を出版している。

(中略)

swissinfo.ch : そのほか、チェルノブイリと福島で、違いに驚いたことがありましたか?

ボース : ウクライナでは、福島のように避難すべきかどうかを個人で悩むことはなかった。年間線量10ミリシーベルト以上の所は強制避難。つまり旧ソ連体制だったため、有無を言わせず「全員すぐに移動」と決行した。

ま た、一般市民の保護においても、ウクライナの方が優れていたと思う。例えば汚染された地域の学校では、汚染されていない地域から食品を輸送させ何年間もそ れだけを使用し、朝、昼、晩三食を学校で食べさせた。こうすれば子どもたちに、内部被曝は起こらないからだ。家では、大人たちが(貧しいが故に)家庭菜園 のものや森のキノコなどを食べていたが。

ところが福島では今でも子どもたちに地域の産物を食べさせている。それには驚いた。また現在、 食品に含まれる放射性物質の量は1キログラム当たり500ベクレルと高い。今年4月から100ベクレルに下げられると聞いたが、なぜ事故直後に100ベク レルにしなかったのか、それも理解に苦しむ。

民主主義国家の方が、個人の意思を重視するが故に原発事故が起こった場合は複雑になるのかと思ったりする。

全文は3・11から1年、「低線量被曝との終わりなき戦いは続く」

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