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日本の原発産業の「人工芝運動」と不完全を嫌う優秀の愚かさ via goo news

2011年8月17日(水)11:30
危機管理では、危機の危険性を最大限に悲観的に想定して準備し、実際の被害を最小限に抑えるのが鉄則だと思っていましたが、ガーディアン紙いわ く、「原発は人類が使いこなそうとしてきた中でも最も危険な技術だが」、どの国にあっても原発産業は「それにつきもののリスクを過小評価しようとする衝 動、事故を隠したりその規模を過小評価する傾向、次世代型の発電所が開発されるたびにこれは完全無欠で絶対安全だという思い込み、そしてあらゆる事態を想 定し対応できているという過信」を、何度も何度も露呈してきたというのです。しかも、日本はその中でも特に極端なケースだと。うーむ……。

リ スクを過小評価し不都合な事実に目をつぶるのは、それは「今この瞬間」の安寧と安定をつい優先しがちな、凡庸なる人間の本能のようなものなのかと思ってい ます(自分もその要素はありますし)。けれども、では、日本の教育制度において最高峰を極めてきたはずの、ゆえに国家公務員採用 I 種試験に優秀な成績で合格し、人によっては欧米の最高峰の大学に国費留学する機会も与えられてきた人たちが、つまりは霞ヶ関の官僚たちが、なぜそんな凡庸 な人間的弱さを露呈してしまうのか。

皮肉なことにそれは、彼らが幼い頃から極めてきた優秀さ故ではないかと、私は思っています。日本の学 校で優秀な成績を収め、国家公務員となり、それぞれの組織の中で適正に機能していくプロセスの中で、多くの官僚がおのずと身につけてる本能のようなもの は、「いい加減なことは言わない、不正確なことは言わない、混乱を作らない」慎重さだと思うのです。しかもこれは、平時においては褒められるべきもので す。

しかし危機下においては……。

○不完全なデータを出さないのは悪いことか

続きは日本の原発産業の「人工芝運動」と不完全を嫌う優秀の愚かさ

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