Daily Archives: 2011/06/09

脱原発:福井・小浜市議会が国に要求へ…意見書可決 via 毎日jp

原発14基が集中立地する若狭湾のほぼ中央に位置する福井県小浜市議会(定数18)は9日、期限を定めて原発から脱却するよう国に求める意見書を全会一致で可決した。高経年化原発の運転延長を認めないなど5項目を列挙。近く衆参両院議長や首相らに送る。同市内に原発はないが、関西電力大飯原発1~4号機(同県おおい町)の20キロ圏内に全市民約3万人が居住。一方で1974~2009年度に計約59億円の電源三法交付金を得ている。 脱原発:福井・小浜市議会が国に要求へ…意見書可決  

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核への「ノー」貫くべきだった 村上春樹氏がスピーチ via Tokyo Web

【バルセロナ共同】スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、バルセロナの自治州政府庁舎で、今年のカタルーニャ国際賞を作家の村上春樹さんに授与した。村上さんはスピーチで東日本大震災と福島第1原発事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。 「非現実的な夢想家として」と題したスピーチで、村上さんは福島第1原発事故を「(日本にとり)2度目の大きな核の被害」と表現。戦後日本の核に対する拒否感をゆがめたのは「効率」を優先する考えだとし、政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。 その上で「われわれは持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原発に代わる有効なエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった」と言明。それが広島、長崎の犠牲者に対する「集合的責任の取り方となったはずだ」とも述べた。 カタルーニャ国際賞は、人文科学分野で活躍した人物に送られる。 核への「ノー」貫くべきだった 村上春樹氏がスピーチ  

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Fukushima in Our Food: Low Levels of Radiation from Japan’s Nuclear Meltdown Detected in Milk, Fruit and Vegetable Samples Tested from California Farms via Nuclear Free Planet.org

Boulder, Colo. (June 1, 2011) – Nuclear energy is clean…until it isn’t. The emerging reality of the ongoing nuclear reactor crisis in Fukushima, Japan—now in its third month after a devastating earthquake and tsunami caused nuclear explosions at the plant … Continue reading

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原発災害マニュアル、全然使えず 政府、全面改訂へ via asahi.com

原発事故が起きた場合に中央省庁と自治体、電力会社が現地で対応を調整する仕組みを定めた政府の「原子力災害対策マニュアル」が東京電力福島第一原発の事故では想定外の事態が重なり、ほとんど活用されなかったことが分かった。政府は全面改訂に着手した。 朝日新聞が入手したマニュアルは1999年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故後、経済産業省を中心に策定したもので、A4で123ページにわたり関係機関の対策を細かく規定している。原発近くの指揮所に対策本部を設けて省庁や自治体、電力会社などが情報を共有。首相官邸に事故処理や避難指示について現場に即した対策を提言する狙いがあった。 続きは原発災害マニュアル、全然使えず 政府、全面改訂へ  

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「脱原発こそ国家永続の道」について via 西尾幹二のインターネット日録

原発事故から心が離れない。私は事故直後にすぐ判断した。日本の将来のことを考えて「脱原発」こそ目指すべき方向である、と。産経コラム正論(3月30日付)にも、『WiLL』6月号の拙稿「原子力安全・保安院の『未必の故意』」にもそう書いたし、4月14日のチャンネル桜の討論会では福島の学童集団疎開さえ提言した。 福島第一原発の情勢の悪化を今も非常に心配している。狭い国土における「内部被曝」は人体におけると同様に始末に負えない。それに使用済核燃料の最終処理の見通しの立たない原発は、われわれが子孫に伝えるべき美しい国土を永久に汚辱し侵害するおそれがあると考えられる。私は「守る」とは何か、をしきりに考察した。派遣されたアメリカの大艦隊、「ともだち作戦」の真意と現実、東アジアにおける日本の陥った危ういポジションをどう考えるかも、問題として一体化している。 こうしたすべての点を踏まえて『WiLL』7月号(5月26日発売号)に「脱原発こそ国家永続の道」(12ページ立ての評論)を発表する。ネットの読者には申し訳ないが、今のこの時点での私の考え方を集約した論考はこれになるので、ご一読たまわりたい。また5月26日より以後に、同論文へのコメントを今日のここに投稿していたゞけるとありがたい。 続きは 「脱原発こそ国家永続の道」について  

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