『朝鮮学校も避難所に』 via 沖縄タイムス

 東日本大震災で、宮城県と福島県の朝鮮学校が校舎などを避難所として開放。日本人を受け入れたり、支援物資を各地に配ったりして、被災者の力になっている。「民族を問わず、命を救いたい」。在日朝鮮人たちの思いは一つだ。

 福島朝鮮初中級学校(福島県郡山市)には震災直後に6〜84歳の約30人が避難。半数は沿岸地域の近隣自治体などからの日本人だった。ストーブがあり、布団十数組も備蓄。「この先どうなるのか」。教室に約10人ずつが分かれ、悩みを打ち明けながら励まし合った。

 福島第1原発から約4キロ離れた福島県双葉町の半谷一彦さん(51)は、在日の友人に誘われ、同県いわき市の父親(84)を連れて避難した。

 父親は糖尿病、高血圧、心臓病などで11種類の薬が欠かせない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)から派遣されたスタッフに相談すると、車で郡山市内の病院に連れて行ってくれた。「一人ではとても無理だった」と半谷さんは振り返る。

 生徒や教師は自宅待機で不在だったが、朝鮮総連から食材や燃料が届いた。焼き肉店を営む朝鮮籍の男性が腕をふるい、食卓にはごはんやみそ汁、キムチが並んだ。ほかの避難者も後片付けや掃除を分担。気分転換に校庭で野球やサッカーをし、寒空の下でともに汗をかき、笑い合った。

 避難者は徐々に親類宅などへ。3月末に最後の一人を見送ったスタッフの金政洙さん(59)は「私たちは日本で育った。民族の違いを考えず、仲間として助け合えた」と胸を張る。

『朝鮮学校も避難所に』

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